その大半は、経営責任者が組合員という名の従業員を雇っている、という感覚です」
つまり、本来、組合員である労働者全員が、総会で一人1票を投じる権利を持ち、役職に関係なく平等な立場で経営に参加する「労働者協同組合」のような概念は、定着していないということのようだ。
「政府は2012年に、農業・牧畜業以外の協同組合に関する新たな法律をつくりました。しかし、それもあくまでも“実験的なもの”と定義されています。本気とは言えません」
政府関係者には、社会的連帯経済は社会主義から外れているのではないかと疑う者がいると、キューバの社会的連帯経済研究者たちは言う。そもそも資本主義の危機から生まれたもので、その中心が民間セクターであり、これまで社会主義経済の軸となってきた国営セクターではないと、捉えているからだ。社会的連帯経済は一時的あるいは一部には必要だとしても、大手を振って推進すべきものではないと考える人たちが政府関係者にいるらしい。
「でも僕は、キューバ経済を活性化するためには、各地域の行政機関と国営企業、自営業者らの民間セクターのすべてが連帯して、地域経済を豊かにすることが最善だと考えています。そのために、協同組合主義が役立つと思うんです」
アンヘルたちのプロジェクト「インクーバ・エンプレーサス」は、協同組合同士、あるいは社会的連帯経済に関心を持つ人たちを結びつけることで、協同組合主義の考え方を広め、公と民の連帯の基礎を築こうとしていた。
マルティと協同組合主義
3日後、私はパートナーでフォトジャーナリストの篠田有史を伴い、アンヘルが「インクーバ・エンプレーサス」の仲間と、バーテンダーを目指す若者たちに経営について教える連続講座を見学しに出かけた。ハバナ旧市街の一角で、社会的連帯経済に強い関心を抱くアンヘルの知人が企画し、無料で開かれているバーテンダー養成校の学生が対象だ。
朝9時過ぎ、会場である古い国営レストラン・バーの2階へ行くと、そこには男女合わせて20人ほどの若者が集まっていた。話を始める前に、アンヘルが、バーテンダー養成校に入った理由を含めた自己紹介をするよう、学生たちに促す。
「今大学生ですが、お小遣いを稼ぐために、何かスキルを身につけたいと思いました」、「グラフィックデザインを勉強しているのですが、就職の選択肢を増やしたいんです」、「イタリア語を勉強したので、外国人観光客と話せる職場として、バーを考えました」、「接客業で働きたいんです」など、参加理由は様々だ。とはいえ、皆、少しでも多くの収入を得られるようになることを期待しているのが、その表情からわかる。今キューバで最も儲かるのは、タクシーやレストラン、バーなど、外国人観光客に関わる仕事だ。
それを見透かしてか、アンヘルはまず、19世紀のキューバ独立戦争の指導者で、キューバ革命思想の基礎を築いたホセ・マルティの言葉を引用して、こう述べた。
「みなさんが(小中学校で習い)よく知るように、マルティはこう言いました。“教養を身につけてこそ、自由になれる”。このフレーズには続きがあります。“豊かであってこそ、善良になれる”。皆さん、これらすべてを実現するために学びましょう」
キューバでは、革命以来、すべての国民に教育が無償で提供され、そのモットーとして、マルティの言葉「教養を身につけてこそ、自由になれる」が用いられている。だが、その後半部分に当たる「豊かであってこそ、善良になれる」は、あまり知られていない。アンヘルは、その両方の大切さを示したかったのだろう。
この日の講座では、若者たちが将来、自分で商売をすることになった際に必要なことが語られた。起業する人が増えて競争が生まれた時、経営を理解していないと事業に失敗すること。事業収支を自らきちんと把握し、経営に生かす姿勢が大切なこと――。
「政府が納得して応援できるような(社会的意義のある)事業を考えることも、重要でしょう。例えば、個人ではなく協同組合形式で運営するのも、一つの方法です」
さりげなく協同組合の概念にも触れる。最後のまとめでは、こう強調した。
「成功するには、何より、同じ志を持つ者同士が互いに協力しあうことが大切です」
それから若者たちに、5人ずつのグループで、無料チャットアプリWhatsAppを使った連絡網をつくるように、指示する。
「グループをつくる際は、知り合い同士でくっつかないで、新しい仲間ができるよう、ランダムにメンバーを選びましょう」
そう言うと、アンヘルは学生全員が1から4までの数字を順番に声に出して言い、同じ数字の者同士でグループをつくるよう促した。
「毎回のセミナーの資料は、このWhatsAppの連絡網を使って各グループに送ります。グループの仲間と、互いに議論をしながら進めていきましょう。では、また来週」
こうして、第1回の講座は終了した。
どうやらアンヘルは、キューバ人の思想的拠り所であるホセ・マルティの言葉と、協同組合主義を結びつけて考えているようだった。これからのキューバ社会を創る若者たちに、資本主義的な競争ではなく、善良な市民が手を取り合って築く経済のあり方を、提案しようとしているのだ。
イエズス会の社会主義者
それにしても彼はなぜ、イエズス会のプロジェクトで活動しているのだろう。また、カトリック教会はなぜ、社会的連帯経済を推進しているのか。ハバナ大学の教授の紹介で知り合ったものの、話を聞くまで彼が教会の組織で活動している人間だとは思いもしなかった私は、そこを疑問に思った。
「実は僕、18歳から22歳まで、修道士だったんです」
彼は、神父になるための勉強をしていたという。なぜ辞めたのかと聞くと、こう答える。
「修道院にいたのは、僕の両親がともに、教会への弾圧が激しかった時代から敬虔な信者だったので、その影響です」
キューバでは、革命以降、1998年に当時のローマ教皇、故ヨハネ・パウロ2世の訪問が実現するまで、反革命派を支持したカトリック教会とカストロ政権の対立が続いていた。60年代には、大勢の教会関係者が国外追放となり、教会の財産も国に没収されるなど、カトリック教会は政権による弾圧を受ける。しかし現在では、教会の活動は基本的に自由に行えるようになり、教会関係の団体も様々な社会・福祉・文化活動を展開している。