皮肉なことに、資本主義世界に生まれた矛盾が、今、社会主義国に育った若者たちをも、出口の見えない迷宮へと追い込んでいる。
資本主義を知る者
「12月になったら、いよいよ子どもたちを対象にした料理教室を再開する予定だよ」
2019年11月末、東部の町バラコーアに住むアリスティデスが、久々にメールを送ってきた。17年9月にハリケーンによる津波に押し流されて以来、自力で再建してきた自宅とベジタリアン&ビーガンレストランがほぼ完成し、以前やっていたことをまた始めるという。近所の子どもたちに、地元の食材を使った料理を無料で教えるのだ。食材の豊かさと料理の楽しさに関心を持ってもらえたらと、アリスティデスは考える。彼の頭には、自分が好きな仕事で生活しながら、それを周囲の人々の暮らしにも役立て、特に子どもたちには様々な体験から学んでほしいという思いが、常にある。それは、黒人奴隷の子孫でバラコーア初の黒人国会議員だった彼の父親の、教育と自由と平等を重んじる姿勢の影響だろう。そして、もうひとつ、メキシコでの体験も深く関係している。
30代だった1990年からの3年間、彼はメキシコで生活していた。一般のキューバ人が海外へ出ることが今以上に難しかった時代に、ハバナで知り合ったメキシコ人観光客の女性が「結婚してくれた」おかげで、移住できたのだ。彼が国を出た目的は、国外脱出でも、出稼ぎでもなかった。ただ、「資本主義世界を見てみたかった」のだ。
メキシコ時代には、銀行の重役だった「妻」の出張に同行して、米国やブラジルなど、ほかの国も訪れた。メキシコ国内にいる間は、格安で手に入れた旧ソ連製のカメラを売る商売など、自分で様々な仕事を発明することで、当時日本円にして1200万円以上のお金を稼いだ。そのまま資本主義世界にいれば、お金持ちになれたかもしれない。
ところが、93年、彼はキューバへ戻ってくる。それまでも頻繁に祖国を訪ねては、「平和時の非常時」と呼ばれた経済危機の只中にいる家族や故郷バラコーアの人々のために、メキシコで薬を買い込んで病院に寄付したり、文具を学校に届けたりしていた。それでも一向によくならない生活状況をみて、残りの財産を手に帰国する決意をしたのだ。
「メキシコ人が、キューバのために寄付を送ったりしているのに、キューバ人の僕がメキシコで呑気に金儲けをし続けるなんて、とてもできなかった。(当時キューバにいた)僕の子どもたちは、祖国のおかげですくすく育ってきたのだから、その祖国の人たちのためにできることをしなければと思ったんだ」
それは、メキシコという資本主義世界が抱える矛盾をよく知ったうえで得た、信念だった。資本主義世界には、モノが溢れ、どんな商売でもでっち上げられる自由さがある。だが、そこには明らかな格差が存在し、どの立場にいるか、どの階層に属するかによって、与えられるチャンスも「人間としての価値」までもが違ってくる。貧困家庭に生まれた子どもの多くは、学校にもろくに通えず、自分の親と同じようにただ日銭を稼ぐだけの人生を送る羽目になる。アリスティデスの次男には知的障害があるが、そういう子どもの場合、ある程度裕福な家庭に生まれない限り、教育を受ける機会が得られないことも珍しくない。そこには、本当の意味での自由や平等はない。だから彼は、どんな子どもにも教育を受ける権利を保障する祖国で、自由と平等の理想を実現するために、自分なりの闘いを続ける道を選んだ。
資本主義世界の現実を理解したうえでキューバに生きている、という意味では、理髪師パピートも同じだ。彼の母親と弟、前妻と長男、次男は、米国に住んでいる。つまり、パピートは、望めば米国移住も可能であるにもかかわらず、キューバに残って新たな家庭と働く場所を築き、地域社会を豊かにするために活動しているのだ。
「米国に行った家族には、向こうで暮らさないかと誘われました。ビザは持っているので、これまでも何度か訪ねては、米国の生活習慣や文化を学んできましたが、それは必ずしもキューバ人に合ったものではありません。キューバ人は米国の方ばかり見ますが、それは向こうに行ったキューバ人が、たくさんの土産を持って里帰りし、夢のような話ばかりするからです。」
パピートは、米国で見た現実を、こう語る。
「米国暮らしのキューバ人は、隣人づきあいがほとんどない上に、『自分は家も車も持っている』と言いますが、大抵は長期にわたるローン払いで自分のものではありません。私の弟も、順調にやっている、と話していますが、家に泊めてもらうと毎晩、夜中に目を覚まして部屋をうろうろしています。数字を出さないと評価されない仕事のストレスで、眠れないのです。つまり、自分の健康を害してまで働いている。何のための仕事でしょう」
パピートにとって、そんな資本主義世界の模倣は、キューバ人が大切にしてきた人とのつながりや分かち合いを捨てることに、ほかならない。お金を稼ぐことが中心で隣人の顔も見えない生活は、人の心と地域社会を貧しくする。
新たな革命
グローバル資本主義の荒波が、世界の人々の運命を大きく変えようとしている時代に、キューバに生きる・生きていく、ということは、何を意味するのだろう。それは、社会主義国としての歩みを見直しつつ、キューバを取り巻く資本主義世界の歪みを理解したうえで、まったく異なる選択肢を見出していくという難題に挑むことなのかもしれない。