2019年はキューバ革命から60年目の年。カリスマ的指導者フィデル・カストロは3年前にその人生の幕を閉じ、キューバでは革命第一世代が表舞台から退こうとしている。これまでの社会主義体制では立ち行かなくなっている現在、人々は、新たな道を模索しているが、そこにはグローバル資本主義の波が押し寄せている。
迷える若者たち
英雄ゲバラが眠る町、サンタ・クララを訪ねた帰り、ハバナへ戻る乗合タクシーには、20代後半くらいのちょっとおしゃれな青年二人が同乗していた。首都へ行く目的を問うと、「ニカラグアのビザを受け取るため」と言う。
「なぜニカラグアなの」
私は、つい聞き返してしまった。というのも、ニカラグアは、ラテンアメリカでハイチに次ぐ貧困国で、しかも2018年以来、オルテガ政権による市民弾圧が続いていたからだ。1979年、約40年間続いた親米独裁政権を倒した革命の英雄だったダニエル・オルテガ現大統領が、金権政治で私腹を肥やす独裁者に成り果てたことで、キューバ革命を手本に平等な国を築くはずだったこの中米の小国は、恐怖政治の国になった。そんな所へ何をしに行くのだろうか。
「一番行きやすかったからだよ」
と、青年は答えた。何のことはない、ビザを取るのが一番簡単だっただけなのだ。
ネットを見ると、確かに2019年1月から両国政府間の取り決めで、キューバ人の渡航手続きが容易になったと書かれている。つまり、二人はとりあえず国を出て、米国を目指すためにニカラグアへ行くのだという。
実は、1年前にサンタ・クララを訪れた際に会った青年も、米国に住む親戚に手助けしてもらい、米国ビザの取得を試みていた。彼は、高等専門学校で電子工学を学んだが、生活に足りる給料がもらえる職が見つからず、家具屋を営む知人の手伝いをしていた。米国行きは、生活を変えるための挑戦だった。
「妻と子どもに不自由のない生活をさせたいだけなんです。向こうで商売をしている友人が、一緒にやらないかと誘ってくれているので、行こうと思います」
その友人は3年前、当時ビザが不要だったエクアドルへ飛び、そこから密航手配業者が用意した通過国の入国書類を使って、米国までたどり着いたという。
多くの若者が、今、国外に希望を求めている。それは、かつての亡命者のような政治思想の違いや、言論統制に対する不満に基づく行動とは異なる。普通に生活していくためにできることや将来への展望を見出せないまま過ぎてゆく日々への、焦りと不安をぬぐい去る試みのようだ。
2019年8月、その青年がもう米国へたどり着いたか気になり、SNSで連絡を取ってみると、「今パナマにいます」という返事がきた。米国のビザは取れなかったため、パナマの観光ビザを利用したようだ。
「とりあえず、午前中は知人が紹介してくれた左官の仕事をして、午後3時から11時までは洗車店で働いています。正直、キツいです」
家族と離れ、見知らぬ国でひとり長時間労働を続ける身の侘しさと苦しさが伝わってくる。その2カ月後、今度は「パナマで滞在許可を取るのは困難なので、ここにいたキューバ人の知り合いが行ったコスタリカへ移ろうと思います」という連絡があった。
「僕は、ちゃんとした給料がもらえる仕事ができるのなら、どこでもいいんです。コスタリカはいい所だと聞いていますし」
だが、1カ月後に届いた知らせは、「コスタリカへ来たけれど、知人も僕も、まだ仕事がありません」というものだった。計画通り、米国まで行こうと考えても、かなり困難な状況にある。
現在、国外、特に200万人以上のキューバ系移民が暮らすといわれる米国を目指す若者たちにとって、世界を覆う「移民排斥」の流れは、希望への道を遮る壁となっている。2017年頭、米オバマ大統領(当時)は、キューバとの国交が回復したことを受けて、キューバからの移民なら米国の土を踏みさえすれば臨時の入国許可を与えるという、それまでの優遇策を廃止した。「カストロ独裁政権から逃げてきた亡命者」という扱いが、成り立たなくなったからだ。その直後に就任したトランプ大統領は、メキシコや中米諸国の政府まで巻き込み、南からの移民が北へ移動できないよう画策している。2019年、メキシコでは中米からの移民と共に、大勢のキューバ人が国家移民庁に拘束された。米国にたどり着いた者も、前年度の倍以上にあたる約1200人が強制送還になっている。
米国をはじめとするグローバル資本主義の中心にいる国々は、移民をこれまでのような労働力としては受け入れなくなっている。それどころか、自らが生み出した格差問題の原因に仕立て上げ、悪者扱いし排除しはじめた。途上国からの移民は、安心して生活する権利を奪われている。キューバ人の若者たちも同様だ。