内から外へ
「ウォオオオオオオオ」
唸るような声とともに、ステージ中央に立つ仮面の人物が、杖を片手にゆっくりと体をまわす。何かをすくい上げ、大地に撒くような仕草に続いて、杖で床に大きな円を描く。そして、「ドン!」と踏み鳴らされた足音を合図に、周囲の太鼓が一斉にリズムを刻み始める。獅子面の男が3人、太鼓を打ち鳴らしながらステージへ。会話するかのように顔を見合わせ、頷き、首を傾げ、手を振り上げて、愉快に舞う。華やかな着物と笠を身につけた踊り子たちが加わると、ステージはさらに賑やかに。
6人が入り交じる舞が続いた後、彼らの退場と同時に、空気が変わった。水色地に柿色の模様がちりばめられた衣装を纏った「トップダンサー」、“ケンちゃん”こと鈴木健司さん(45)が、厳かな雰囲気を湛えて現れる。能楽のようなゆったりとした動きで、独自の舞が始まる。その手先、腕、足、顔、体全体から、彼が今感じ取っている世界の姿が伝わってくる。後から1人「新人」が登場し、ケンちゃんの動きをぎこちなく追うが、表情は柔和だ。
笛や鉄琴の音色も加わり、次々と舞うのは、利用者だけではない。柳瀬さんを含むスタッフ何人かも、田楽舞の世界に身を投じている。ある者は獅子に、ある者は娘や老女などに姿を変え、その瞬間を生きる。
クライマックス。ケンちゃんら踊り手の男3人がステージ真ん中に集まり、女たちや太鼓が奏でる「タンタ、タンタ」というリズムに囲まれて、舞い踊る。そこに演出の気配は感じられない。ケンちゃんは貫禄の舞を続け、新人は微笑み、もう1人はただじっと地を踏み締めて立つ。
この田楽舞は、自然生クラブの在り方そのものを象徴しているようだ。スタッフも利用者も、その場にいる人それぞれが、暮らしの中でつかんだもの、湧き出る思いや力をあらわにしていく。そこに、真の生きる力や幸せが見える。
「人間の創造性というのは、何か1つのことに特化して発揮されるのではなく、続けてやっているうちにどんどん表れ出てきて、できることが増えるようになるもの。内に秘められた力が、あるとき内から外へひっくり返って出てくるんです」
と、柳瀬さん。1つの目標を立てるのではなく、自然かつ自由に物事に取り組むことで、生きることを楽しみ、そこから色々な学びを得ていく。
「目標を作らない。それは案外難しいけれど、農業などはそもそも目標を立てても、うまくいくとは限らない。思ったようにならなくても死にゃあせん、くらいに考えるのがいいんですよ」
柳瀬さんはそう笑う。
ゆるいつながりから生まれた共同体
事務局長の江口肇さん(46)は、大学卒業と同時に、自然生クラブに就職したベテランスタッフだ。筑波大学在学中に環境問題に関心を抱き、「これは人の意識の問題だ」と感じて、環境系サークルで子どもたちとの自然教育活動などに取り組んだ。そんな中、柳瀬さんと出会う。
「ライフスタイルについて話をしていて、ウマが合うと思ったんです。農業をすることの大切さを知って、自給自足の生活の中に教育がある、と思いました。地域循環のライフスタイルで、衣食住を豊かに楽しく生きることが、教育の第一歩だと思ったんです。人を育てるのは、学校教育だけではありませんから」
自然生クラブには、通常の障がい者福祉施設と異なり、社会福祉士や作業療法士など福祉を専門に学んだ者は少なく、「ここで利用者と何かしたい」という思いから関わっているスタッフが多い。
利用者もそうだ。人伝に知って訪れ、ここで過ごすことにした人ばかり。地元・筑波に自宅がある人もいれば、他県から来た人もいる。一番長くいるのは、柳瀬さんが白根開善学校にいた頃の生徒だった男性利用者(49)だ。
野菜を定期購入する「野菜家族」の会員やボランティア、田楽舞などのイベントを訪れる人を含め、自然生クラブに関わる人間は、誰もがつながりに導かれている。
「ボランティア活動をしている人の集まりで知り合った浅草の人たちが、田植えの手伝いに来たり、野菜を購入してくれたり。その人たちの伝で、地域の児童館の子どもたちが遊びに来たり。自然とつながりができていくんです」
柳瀬さんがそう表現するように、関わる人たちは自分の意志でそこにいることを選び、自然生クラブという1つの共同体を創り上げている。
「若い頃は、自分より上の世代の人たちが学生運動をしたり、自分たちの共同体を創ったりしているのを見て、憧れていました。でも、それらの共同体は、ある種、内に閉じられたものでした。それに対して、私たちは、一人ひとりが選んだつながりによって創られた、ゆるやかで開かれた共同体。一緒にいて居心地のいい、“テキトー”な共同体なんです」
言い終わると同時に、大きな笑い声を上げる柳瀬さん。この共同体は、肩の力が抜けた自由な空気に包まれている。