
米国への不法入国を試みるために、メキシコ側ティファナの街を見下ろす国境の丘で、日が暮れるのを待つ人々。1990年代末 撮影:篠田有史
「母」の決断
施設到着後、すぐにオルガと並んでソファに腰掛けた。オルガは、さっそく自分の計画を語り始める。
「彼は、家族をメキシコに残して、向こうで新しい生活を始めているの。だから、私と家庭を築こうって言ってくれてる。そうなれば、私はもちろん、アナベレンももっといい生活ができるようになる。だから行こうと思う」
自分の判断は決して娘を抜きにした利己的なものではない。そう訴えたいようだ。その胸中には、頼れる存在を繋ぎ止め、「家庭」という、これまで恵まれることのなかったものを手に入れたいという願いが、潜んでいるように思えた。もしかすると、しばらくの間だけでも、娘をモニカさんに預けて自分ひとりで恋人と自由に過ごしてみたいという憧れも、あったのかもしれない。彼女がまだ20歳そこそこであることを考えれば、わからないでもない。しかし――。
「不法入国というのは、本当はとても危険な旅なのよ。私には、実際にそれを経験した友人が何人かいるけれど、国境の砂漠地帯で迷子になって、そのまま命を落とすことだってあるんだから。実際、砂漠を歩いていると、人骨とか――」
私はまず、オルガに「モハードス」の旅の過酷さを必死で説いた。それは事実であり、彼女が無謀な旅で命を落とすなんてことは、絶対にあってはならない。そのうえ、向こうで共に家庭を築こうという相手の話も、あまり信用できなかった。仮に彼のもとへ無事にたどり着いたとしても、非正規移民としての米国生活が順調に行くとは限らないうえ、彼が本当にメキシコにいる妻と別れて、オルガと家庭を築くのかどうかも、怪しい。そんな当てにならないもののために、一人娘をメキシコに残して、命懸けの旅に出るのか?
思ったより真剣にこちらの話に耳を傾けるオルガを前に、私は最も気になっていることを、思い切って伝えることにした。実は、それこそが、私がオルガの不法入国計画に賛成できない、一番の理由だった。
「何より、私はあなたがアナベレンと何カ月も、場合によっては何年も離れて暮らすことになるのには、あまり賛成できないわ。あなたは以前、自分が母親に置き去りにされた苦しみや、幼い頃、そばにいて愛情を注いでくれなかった悲しさを話してくれたでしょ。だからこそ、カサ・ダヤから路上に出てしまった時だって、娘のことを第一に思いやり、2人で施設に戻ってきたじゃない? それなのに今度は、子どもの頃の自分と同じ思いをアナベレンにさせていいの?」
年に一度くらいしかオルガの前に現れない私が、そんな説教じみたことを言って、逆効果にならないか。心配しながらも、私はオルガを信じて、言いたいことを言い切った。神妙な表情で聞いていたオルガは、そばにいたモニカさんの方を見ながら、こうつぶやいた。
「もちろん、娘に自分と同じ思いはさせたくないわ……」
数日後、電話でオルガの様子を尋ねると、モニカさんからこんな返事が返ってきた。
「オルガは、米国へは行かないそうです」

私たちと一緒に出かけた公園で、娘の食べこぼしをとるオルガ。2003年 撮影:篠田有史