中米のホンジュラス。日本人にはコーヒーくらいしかなじみのない、人口およそ810万のこの国は2014年、国連薬物犯罪事務所(UNODC)に、人口10万人当たりの殺人事件発生率世界一のレッテルを貼られた。戦争やテロ事件といったニュースにすら登場することのない国が、だ。その主な原因は、「ギャング」。首都テグシガルパと第二の都市サンペドロ・スーラは、悪名高いギャング団が幅を利かせる最も危険な地域とされている。
そのテグシガルパで2014年9月、私はおもしろい男と出会った。彼は元ギャング・リーダー。しかも多くの同業者に一目置かれるほどの大物だったという。激しい暴力と犯罪に手を染める若者が、絶え間なく生み出される社会の真実の多くを、この男は身をもって理解しているに違いない。そう直感した。
渋い薄緑のワイシャツに黒ズボン、眼鏡をかけたパブロ・ガロ牧師は、首都郊外にある国内最大の刑務所マルコ・アウレリオ・ソトに、もう何年も前から通い続ける。そこには18歳以上の男たち約4000人が服役している。その1割強は、「マラス」と呼ばれる若者ギャング団のメンバー、もしくはそこを抜けた者たちだ。つまり、テグシガルパとサンペドロスーラを拠点に違法行為を繰り返す一味とその元仲間。痩せた初老の牧師は、塀の中で、彼らのような心すさんだ若者たちに聖書の話をする。
マラス(maras)は、1980 年代にアメリカのカリフォルニア州で生まれた、ラテン系移民の若者たちの組織だ。マラ=maraはスペイン語のmarabuntaに由来するとも言われる。marabuntaは「群衆・群れ」の意味を持ち、「通り道にあるものすべてを食べ尽くアリの集団」も指す。ネットでマラスの画像を検索すれば、刈り上げ剃り込み頭に、体はもちろん顔面までタトゥーで覆われた、おどろおどろしい青年たちの姿が現れる。まさにアニメかSF映画の悪役キャラクター。善を食い尽くすアリ、だ。
アリたちは、アメリカ社会の中で「低賃金で働く不法移民」「よそ者」として、常に差別や不当な扱いの対象とされてきた。時には警察などに暴力を振るわれることも。そこで彼らは自己防衛のために、同じラテンアメリカからの移民同士が団結して戦うしかないと考え、マラスを組織し、独自の活動スタイルと文化を生み出した。
マラスは現在、アメリカ各地はもちろん、メキシコ南部と中米のグアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラスで勢力を広げ、国際的犯罪組織としてアメリカ連邦捜査局(FBI)にも監視されている。悪名高いメキシコの麻薬カルテルともつながりを持ち、麻薬密輸はもちろん、銃の密売、人身売買、請負殺人など、重犯罪に複数絡んでいるからだ。カルテル同様、そのリーダーを逮捕しても、問題は簡単には解決しない。彼自身が刑務所内から指揮をとり続けることもできれば、別のメンバーが後を引き継ぐことも可能だからだ。
その二大組織、「マラ・サルバトゥルーチャ(MS-13)」と「バリオ・ディエシオチョ(M-18)」は、ホンジュラス各地で、そしてガロ牧師が通う刑務所の中でも幅を利かせ、互いに敵対し続けている。80年代から国内に入り込み、90年前後から徐々に存在感を増してきた。
熱帯気候のホンジュラスは、日本の約3分の1の面積で、北と東はカリブ海に面した平地、南は太平洋に沿って伸びる山岳地帯という国土を持つ。経済はバナナやコーヒー豆の栽培といった第一次産業が中心で、一人当たりの名目国内総生産(GDP)は約2283ドル(2013年)と、日本(約3万8467ドル)の16分の1にも満たない。そのため多くの若者はろくな職にありつけず、アメリカンドリームを求めて「北」を目指す。アメリカへたどり着いた不法移民の若者たちがやがて、夢破れてギャングとなり、マラスのメンバーとして悪事を働いた揚げ句の果てに、祖国へ強制送還される。そうしてこの国でもマラスの活動が拡大していった。
マラスがもたらした独特の文化=タトゥーファッションやラップ、ゆったりとした大股歩きなどは、保守的な自国社会を息苦しいと感じていた少年たちのハートをつかんだ。カッコ良さにハマってギャングに憧れを抱くようになり、取り込まれ、犯罪に手を染めるようになっていった者も少なくない。
縄張りを巡って抗争を繰り返す彼らは、支配するスラムにおけるいわば「地域の番人」だ。自分たちに従う者を守り、敵あるいは敵となりうる者に対して、常に神経をとがらせている。組織を抜けた者も「裏切り者」として敵視され、元仲間とかち合えば殺される。
だから刑務所においても、五つある大きな一般収容施設のほかに、MS-13専用、M-18専用、組織を抜けた「リタイア組」専用が一つずつ、計三つの小さな建物が特別に用意されている。
「以前、刑務所内でMS-13がM-18のメンバーを5人殺害したことがあります。だから今はきっちり分けているのです」
と、ガロ牧師。
「同じ建物内、組織内でも、気に入らない、裏切ったという理由で殺された者もいます」
軍隊並みの規律を持つマラスでは、ピラミッド型の指示系統に従うことが、生き残るための絶対条件だ。この掟と組織の拡大欲のせいで、マラスに入るよう誘われたのに断った、マラスから抜けたいと思った、あるいはマラスメンバーの恋人になることを拒否したというだけで、地元を仕切る組織に命を狙われ、危険から逃れるために単独でアメリカへの不法入国を試みる未成年の少年少女が、急増している。未成年の不法入国者は2014年一年間で6万人を超えたが、その多くがマラスによる暴力と脅迫の被害者と見られている。
「アメリカへの子ども移民」と言えば、これまではアメリカへ出稼ぎに行った親きょうだいや親戚を追ってきた、または貧しい家族を支えるために少しでも良い給金のもらえる国で働こうと思ったというケースが、大半だった。が、現在では、マラスと関わることを避け、その追っ手を逃れることで自分の命を守ろうと「北」を目指す子どもが、増えているのだ。
この事実を知った私は、パートナーのカメラマンと共に、子どもたちを追いつめている「マラス」というギャング団の正体を、彼らの影響力が強い中米の現場へ行き、自分の目で確かめようと思った。この決断を後押ししたのは、ホンジュラスへ来る前に滞在していたメキシコで出会った、中米の少年の証言だ。16歳の彼は、およそ2年前、独りで国を離れ、中米とアメリカの間にあるメキシコに入ったところで、移民局に捕まった。そして収容所で2カ月間過ごした後、メキシコのNGO(非政府系組織)が運営する施設に保護され、生活していた。故郷では、地元を支配するマラスにいつも金を脅し取られていたと言う。そんなある日、病気の母親に薬を買うためのお金を奪われそうになったので抵抗したところ、散々殴られ、半殺しにされた。翌日、彼は出国した。
「この施設で学んでいる美容師や仕立屋の技術を生かして早く自立し、母さんをこちらへ呼び寄せるのが夢です」
涙ながらに語った少年は、マラスのせいで祖国を離れざるを得なくなった大勢の子どもたちの一人にすぎない。それほどに、マラスは恐ろしい存在なのだ。
マラスのメンバーにインタビューをしたい。そう考えた私は、知人のいるテグシガルパに行き先を絞り、入国翌日の朝からさっそく、事前に面会の約束を取り付けておいた国立刑務所長を訪ね、服役中のマラスメンバーにインタビューをする許可をもらった。それからその場で紹介された、刑務所内の更生プログラムを補佐しているガロ牧師を案内役として、カメラマンとすぐさまマルコ・アウレリオ・ソト刑務所を目指した。
海抜990メートルの谷間にあるテグシガルパの中心から、北西へ約30キロ。緩やかな山あいの道を知人が運転する車で進み、その入り口へと向かう。