現地調査のため蔵王に入った。
2024年1月。真冬だった。
案内しましょうか、という誘いを丁重にことわり、野に放たれる。
用意してもらったのは国民宿舎1泊。あとは自由だ。
車が蔵王の山に入ると雪はさらに強くなった。暖冬であまり降っていなかったらしいが、昨晩から急に降り始めた。冬の蔵王を見てほしい、という先方の目論見は見事にハマった。
国民宿舎で降ろしてもらい、仕事のお相手とは別れ、さっき買ったばかりのレインウェアを上下装着する。3Lのサイズを買っておいてよかった。レインウェアの下はダウンジャケット、その下は厚手のセーター、ヒートテックだ。靴もさっき買った。10センチくらいなら雪でもいける、という靴だ。さあ行こう。
この格好でまずはコンビニに入った。蔵王温泉に1軒だけあるらしいコンビニ。そこでノートを探した。自分が持ってきたノートでは少し大きすぎた。レインウェアの胸ポケットに入るサイズでないと、吹雪では使えない。ノートの棚を見ているのは自分だけだった。良いノートがあった。糸で綴じているものではなく、リング式のメモ帳。さっと出してさっと書いて仕舞える。これにしよう。一応2冊買った。ペンは持ってきていた。これでなんとかなるだろう。コンビニを出た。
今回蔵王に招かれたのは、詩を書いてほしい、歌を作ってほしい、という依頼からだった。「山形ビエンナーレ 2024 in 蔵王」という美術のイベントがあり、そこに出品してほしい、という。自分のような歌歌いが美術のイベントへ、というのは少しミスマッチな気がしたが、今回は〝うた〟がテーマの美術祭らしい。蔵王の歌を沢山作った歌人・斎藤茂吉の歌碑がいくつもあり、そこを巡ってもらう、というのもひとつのテーマのようだった。そんなことだったので、自分も歌碑のあるところをまず巡ろう、そう思い立った。
あまりの吹雪のため、まず拠点となるバスターミナルへ。ここで態勢を整えて、と思ったが皆立ち往生して外へ出られないでいる。しばらく考えたが、ここにいてもらちが明かない。仕方なく外へ出た。まずは目の前にある高湯通りを歩こう。 温泉街の入り口、高湯通りを入っていく。川が流れていて、そこに温泉も流れている。湯気が雪と混じる。すごい音、におい。ダイナミックなうねりを感じる。
雪にも温泉にもあまり馴染みがないところで育ったので、これだけで驚く。ただ、どこか懐かしい気持ちにもなる。においだろうか。ズブスズブスと雪を踏みしめながら歩く。長い氷柱(つらら)、見たことのない長さ。じっくり眺めたいが、じっとしてはいられない。しばらく歩くとあまり見かけたことのない「餅屋」があったが、残念、やっていなかった。ああコーヒーが飲みたい。熱いコーヒー。するとありがたいことに1軒の店が。お土産も売っていて、飲み物も飲める。ありがたや。中に入るとストーブの暖かさで眼鏡が一気に曇る。暑いくらいだ。レインウェアを脱ぎ、ダウンも脱ぐ。すでに何かを成し遂げたかのような気分だが、50メートルくらいしか歩いていない。コーヒーを注文し窓際の席で飲む。手を温める。窓の外を眺めると、海外からの観光客もちらほらいるようだ。皆スキーだろうか。蔵王といえばスキー、温泉。
ふと店の前に佇む女の人に目がいった。唇がぷるんとふるえた。あ、歌になる、と思った。雪と赤い唇というのは妙に合うと思った。メモ帳にそのことを書いた。外で飲むコーヒーも抜群だろうと思い、半分くらい残った紙のカップを持って、店を出た。コーヒーに雪が入っていく。乙だね、なんて思う。しかし気がついたらコーヒーは凍ってしまっていた。残りの一口は逆さまにして底をトントンやっても落ちてこない。諦めてクシャッとしてポケットにねじ込んだ。
茂吉の歌碑はあった。しかし、近くに行こうと思っても、階段が雪で埋まっていて登ることができない。遠くから眺めたが、歌碑も半分以上雪で埋まっていた。しばらくその歌碑を眺めた。これ以外にも歌碑はまだ沢山ある。他の場所へ行ってみよう。