ようやく観覧車が近づいてきた。神社もあり、その脇のくねっとした道を入ると、突然博物館が現れた。いつもは興味のないものだけど、入ってみようかなと思い、入った。なぜだろう。この街のことを知れる、そう思ったのかもしれない。建物の外壁にある「日立市郷土博物館」の文字のフォントに惹かれたのかもしれない。中に入ると土器が並んでいた。縄文時代から順に。鉱山やその公害について知りたいと淡く思っていたが、まさかうんと前の時代の土器、石器を見ることになるとは……。でもこれが良かった。器や埴輪を見ていて、それを作った人の手の動き、心の動きを想像することができた。
日立市郷土博物館
2階には鉱山のことがしっかり展示されていた。公害、日立鉱山では煙の害、すなわち「煙害」が大きな問題となり、当時としては規格外の高い煙突が建てられた。高い煙突を建てれば、煙が空中で薄まるという狙いから。その大煙突は今も残っているという。高さは当時の3分の1ほどだけど。博物館の窓からも見える、と書いてあった。確かに、小さくではあるが、見えた。
2階の展示で気になったのが、日立銀座通りの昔の写真だ。ライブの前に歩いた銀座通りは、ほとんどお店がやっていなかった。しかしこの昔の写真、1979年の通りを見ると、大きなデパートを中心に店も賑わい、人が多く出ている。地方都市は日立に限らず、このように、独立して、街は賑わいを見せていたのではないか。そんなことを想像した。
1979年の日立銀座通り
博物館を出て、裏の遊園地の方へ、坂を上っていった。途中で自転車を停め、階段を歩いて上がる。果たして、遊園地はあった。小ぢんまりとした可愛らしい遊園地だ。隣には動物園もある。日曜日だったので、家族連れでほどよく賑わっていた。目的の観覧車は小さく、一番高いところでも地面から20メートルくらいか。それでも高台にあるので、見晴らしは良いだろう。これに乗ろうかと思ったが、ちらっと周りを見回すと、見えた。海が見えたのだ。ゴーカートのような、子供が乗る自動車の遊具、その敷地が少し迫り出していて、そこからよく海が見えた。自動車の邪魔にならないように端の方まで行き、眺めた。
高台にある遊園地から
ああ海だなあ、と思った。そして翻弄されてきた街、人々のことを思った。鉱山で栄え、日立という大きな会社が出来、賑わいも絶頂を迎えたが、今は商店街も寂れ、街に中心がないように感じられた。それでも人はどっこい生きている。
大きな回転ブランコから、子供たちの歓声が聞こえてきた。もう夕方になろうとしていた。