沖縄慰霊の日、というのを知らなかった。
43年も生きてきて、知らなかった。
6月23日がそうだ、というのを酒席で教えられた。沖縄のライブの後だった。
沖縄で作った歌があった。正確には沖縄の対馬丸記念館という場所をたまたま訪れて、ズシンとくるものがあり、のちに歌となった。「戦争が夏でよかった」という歌だ。
その歌が入ったアルバムのライブツアーで沖縄を訪れた。2022年の12月のことだ。その打ち上げで、教えられたのだ。沖縄の人たちは「そんなことも知らないのか」と誰も言わなかった。親切に色々と教えてくれた。その中にいた1人が、連れて行きたいところがある、と次の日に車で「佐喜眞美術館」という場所に連れて行ってくれた。米軍基地のフェンスのすぐ目の前にその美術館はあった。二日酔いではあったが、またズシンとくるものがあった。館長を紹介してくれてお話も聞いた。受付で売っていた本と塩を買った。
東京に戻り図書館で沖縄の本を色々借りたが、まだどこか遠い話のようで、実感が湧かなかった。
そんな中、ライブをやらせてもらったばかりのライブハウスの店長が熱いメールをガンガンくれた。すぐに3月でも4月でも、お店の周年だから歌いに来ないか、と。「戦争が夏でよかった」という曲を聴いて何かを感じてくれたらしい。ありがたい話だったが、色々と予定が入っていてタイミングが合わなかった。5月か6月なら、と返すと、ちょうど6月に慰霊の日のイベントを2日間で組んでいるところ、そこでどうか、と誘ってくれた。そこだ、と思った。慰霊の日当日はもう演者が決まっているので、前日に、ということになった。どうせなら色々見て回りたいと思った。
計画を立てすぎるのはよくない、となんとなくいつも思っていて、ひとつかふたつ行きたいところに行ければいいと思い少しだけ調べた。沖縄戦のこと、どういう風に始まったのか、など。米軍が最初に上陸したのは座間味というところだということがわかった。4年前の沖縄ツアーで、たまたま入ったスナックで隣にいた恰幅のいいスーツのおじさんに、座間味へ行きなさい、座間味へ、としきりに勧められたあの「座間味」か。そんなことを思い出した。調べると那覇からフェリーで行ける。しかし早朝に1本しかない。一応フェリー乗り場の地図と時刻表をプリントアウトして、クリアファイルに入れた。
ライブハウスの店長とのメールのやり取りで、どこか行った方がいいところありますか、と聞くと、4つくらい候補を書いてくれた。一番目に読谷(よみたん)のチビチリガマと書いてあり、調べると、米軍が沖縄本島に初上陸したのが読谷だということが分かった(座間味は離島なので)。
あとはコザに行きたいと漠然と思っていた。夜のコザ。なんとなくコザと読谷かなと思い、それ以上は調べず、沖縄に行くことにした。6月22日がライブで、19日の夕方に着く便で沖縄へ向かった。少し早く入りすぎかなとは思ったが、たたずむ、ということを目標としたかった。
沖縄はずっと雨予報と聞いていたので、靴がぐちゃぐちゃになるのを避けて、濡れてもいいサンダルで向かった。これが大失敗だった。近所や都内を歩く分には気づかなかったが、長時間歩くにはまったく不向きのサンダルだったのだ。ペラペラで薄く、足の裏がすぐに痛くなる。それを入った日にすでに感じてしまった。6月19日、那覇は曇ってはいたが、夕方雲間から光が少し差した。
宿の近くを歩き、山羊汁と山羊刺しを食べ、すぐにお腹がふくれた。翌日は早くから動きたい。宿に戻ろうかと思ったが、1杯だけ飲んで帰ることにした。