2026年2月17日、私が参画する高等教育費負担軽減プロジェクト「高等教育費負担軽減オンラインセミナー」(全6回)の5回目が開催されました。今回のテーマは「現在の全国の学生の学費値上げ反対の取組」で、東京大学の現役学生である金澤伶さんが登壇しています。
金澤さんは24年5月に東京大学で授業料値上げの動きが発覚するや、「学費値上げ反対緊急アクション」の一員として学内にとどまらず全国の学生に呼びかけて学費値上げ反対運動を広げ、衆議院院内集会や記者会見での意見陳述、関係各省庁への要請行動などを行ってきた女性です。
講義の冒頭で金澤さんは、「学費問題は『政策の失敗』ではなく『政策の帰結』」と提示されました。この考察は妥当であり、かつ重要です。戦後の日本の大学、特に国立大学の学費は1970年頃までとても安く抑えられてきました。例えば70年には入学金が4000円、授業料は年間1万2000円(月額1000円)でした。ここまで学費が安かったのは、高等教育においても教育を受けることは権利であり、「教育の機会均等」という考え方が当時は受け入れられていたからです。
しかし、この状況は70年代以降に大きく変わります。72年、国立大学の授業料が従来の3倍にあたる年間3万6000円へと値上げされたのを皮切りに、その後も物価上昇をはるかに凌ぐ勢いで上がり続けました。2005年には53万5800円(標準額)に達し、1970年に比べると40倍以上となっています。それに合わせて私立大学の学費も上昇しました。国立大学ではこの間「据え置き」の年はあったものの、学費が下がったことは一度もありません。
それは為政者側から見ると、「受益者負担」の原則に基づいて国立大学の学費を上げる政策が、順調に進められてきたことを意味します。
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2026年現在、国立大学をはじめ高等教育機関の学費がここまで高くなっているのは、金澤さんの考察通り「政策の失敗」ではなく「政策の帰結」であることは明らかでしょう。セミナーの発表資料には以下のように記されていました。
〈2020年代に入り、国立大学を中心に学費値上げの検討・実施が相次ぐ〉
〈学費値上げは「例外的措置」ではなく、制度上やむを得ないもの、備えるべきものに〉
〈審議会や大学執行部から繰り返される言葉「公平な競争環境のため」「高度な教育研究を維持するため」「払える人には払ってもらうべき」〉
〈国による運営費交付金の削減をまるで天災のように扱い、それに備えよと大学に提言する言説〉
〈「選択と集中」基盤的経費の削減と表裏一体。大学は公共機関から競争主体へ〉
これらの記述を見ると、学費問題が「政策の帰結」であることが一層よくわかります。学費値上げを「制度上やむを得ないもの」と考えてしまうのは1970年代以降、50年以上も値上げが続いたことで、今日ではそれが「当たり前」と捉えられていることを意味します。また、運営費交付金の削減を「天災」として危機感を煽る社会的言説の拡散も、2004年の国立大学の法人化以降、削減措置が長期間続いていることにその一因があります。学費値上げや運営費交付金の削減を「当たり前」と捉える意識が形成されていること自体が、長期にわたった「政策の帰結」だと言えるでしょう。
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金澤さんは次に、この学費値上げの問題において「当事者」である学生が排除されている状況も問題視します。以下、発表資料より(一部著者追記)。
〈学費値上げは、学生の生活や学ぶ条件をほとんど考慮していない〉
〈値上げの検討過程が公開されない。学生の意見は「聞かれる」だけで反映されない〉
〈値上げの影響を受ける当事者ほど議論から排除される、という構造の温存〉
〈学生は国や大学に(してみれば)『お客さん』。大学という共同体の主体として位置づけられず〉
これらの点に関しては、金澤さんからは具体例も紹介されました。
一つは学費値上げの検討過程のパフォーマンスとして、「学費の値上げについてどう思いますか?」とグーグルフォームなどでアンケートを取り、それをAIで要約して聞いたふりをする大学の例。もう一つはもっとひどく、在学生には何の前触れもないまま、受験要項の中で学費値上げをいきなり発表する「サイレント値上げ」を行う大学の例です。
ここでとりわけ印象に残ったのは、24年9月に東京大学駒場地区キャンパスで開かれた大学執行部と教学部学生自治会の懇談会で、相原博昭理事・副学長から出たという「学生は大学のお客さんだと思っている」との発言です。つまり学生は大学が提供する教育サービスを受ける「客」=「消費者」であって、議論に参加できる大学の「構成員」=「主体」とは捉えられていないことを示しています。
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学生を客として捉える発想は、近年の教育における新自由主義改革を支えてきました。1970年代以降の学費値上げを支えてきた「受益者負担」の原則も、学生は教育というサービスを受ける客なのだから、それに見合ったお金を支払うのは当然という考え方に基づいています。
学生を客扱いすることで高等教育機関の学費は値上がりし、教育をサービスとして受けるために一定以上のお金を支払うことは事実上の前提となりました。このことは学費を支払えるかどうかで、学生同士を「分断」することにつながります。金澤さんが例に挙げたのは、アルバイトを増やせる学生と増やせない学生、実家から通える学生と下宿して家賃を払わなければならない学生、借金(奨学金)を背負える学生と背負えない学生との分断です。こうした事態は、学費を学生共通の問題として捉えるのを困難にします。
金澤さんらが進めてきた学費値上げ反対運動に対する日本社会の冷たい反応も、学生を「客」=「消費者」として捉える見方が深々と浸透していることと関わっているように思います。反対運動を行っている学生に対して「利己的だ」というバッシングが起きたことは、そのことをよく示しています。こうしたバッシングは国立大学――特に東京大学の学生に対して強く行われたとのことです。
これは、例えば「東京大学は他大学よりも政府から出ている予算も多く恵まれているのだから、受ける教育サービスに見合った学費を支払うのは当然で、学費値上げに反対するのは利己的」という考え方に基づいているものと予想されます。しかし、金澤さんらは東京大学以外の大学の学費値上げにも反対しているのですから、このバッシングが誤りであることは明らかです。
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