次に、英語スピーキングテストの導入が、都立高校入試の制度設計そのものに歪みを生じさせている問題です。先述の通り「ESAT-J」は結果を6段階(A~F)で評価し、A=20点、B=16点、C=12点、D=8点、E=4点、F=0点と換算されるため配点は20点です。しかし、これは学力検査の英語の得点(100点満点)には含まれません。つまり、国語・数学・理科・社会よりも英語の配点が高くなり、教科間の配点のバランスが崩れることになります。都立高校の入試において学力検査を課す5教科の中で、英語の配点のみを増やすことについて、入試の実施主体と学校現場との間で十分な合意が形成されてきた形跡はありません。
「ESAT-J」の結果を調査書の「諸活動の記録」欄内に記載するという点にも、とても違和感があります。中学校3年間の学習の記録と、中学3年生の特定の日に実施される試験の点数を同列に並べることは妥当なのでしょうか? それら2つを足して「調査書点」とすることに、果たして正当性はあるのでしょうか?
また、「ESAT-J」の結果を6段階で点数換算する方法は、1点刻みの点数を必要とする入学者選抜とは相容れません。都教委が作成した実施概要では、100点満点の点数をつけた上で6段階に評価(A~F)することになります。仮に85点以上をAとすれば、85~100点は同じ20点に換算されます。84点はB評価ですから16点に換算されます。この方法だと「ESAT-J」の結果は85~100点は15点の開きがあっても同点、それに対して84点と85点は1点の違いが4点の差になってしまいます。この6段階評価から換算されるスピーキングテストの点数を、1点刻みの学力検査にそのままプラスして総合点を算出することは、1点を争うボーダーライン上の受験生の合否の判定に重大な疑義を発生させることになります。
英語スピーキングテストの「不受験者」の扱いも、たとえそれが少人数であったとしても、都立高校入試に新たな試験方法を加える意義や入試の公平性・公正性を揺るがす危険性を持っています。
不受験者の扱いについては、「学力検査の得点から仮の『ESAT-Jの結果』を算出し、総合得点に加算する」とあります。学力検査の点数(100点満点)を120点にするために1.2倍することになりますが、この学力検査は筆記とリスニングのみから成り立っています。筆記とリスニングの点数からスピーキング能力を算出することができるのであれば、そもそもスピーキングテストを導入する必要性がないことになります。
もしも筆記とリスニングが得意でスピーキングに自信がない受験生が、スピーキングテストをわざと欠席して英語の総合点を引き上げるよう企てることがあれば、入試の公平性・公正性は崩壊します。
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さらに個人情報の漏洩、入学試験が民間企業一社への利益誘導へとつながりかねないリスクも見逃せません。21年に実施されたプレテストでは、ウェブ上で生徒情報を登録する際、生徒の顔写真をアップロードすることを求められました。その時は任意でしたが、22年度に実施される本試験からは都立高校志望予定者全員の名前、顔写真、「ESAT-J」の結果がベネッセに渡ることになります。
ベネッセでは14年に業務委託先の従業員が約3500万件の顧客情報を持ち出し、名簿業者に売却していた事件が発覚しました。過去にこうした事件が起きてしまっている以上、今後入手する大量の個人情報を安全に管理できるという根拠を明確に示す必要があるでしょう。また、取得した情報の目的外利用の禁止を徹底しなければいけません。
ベネッセは英語教育に関する教材を数多く出版し、通信教材を学校や塾に販売したり、その教材の有料オプションとしてオンラインでスピーキングの授業を実施したりしています。そうした民間企業が公立高校入試に関わることによって、自社の利益誘導につなげることがあってはなりませんし、都教委もその点は市民・納税者に確約する義務があるでしょう。
もう一つ、都立高校入試への英語スピーキングテストの導入は、出身家庭の経済力による教育格差を拡大する危険性もあります。
40人学級を基本とする公立中学校の授業では、英語の担当教員がいかに工夫しても、授業時間内に生徒一人ひとりに英語を十分に話させる機会をつくることは困難です。学校の授業でスピーキングに習熟できないとなれば、少人数制の塾や英会話学校、オンラインの英会話授業などで話す機会を得られる生徒のほうが、入学試験において有利になる可能性は高いといえるでしょう。
つまりは学校外教育機関を利用できる生徒が有利、そうでない生徒が不利となれば、出身家庭の経済力による教育格差が拡大することになります。
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ここまで述べてきたように、都立高校入試への英語スピーキングテストには数多くの問題点があります。繰り返しますが、声に出して話された英語を公平かつ正確に採点することは容易ではありません。都立高校を受験する中学3年生には、公平性や公正性に疑問のある入学試験を受けさせてはならないと思います。この問題が解決できないうちは、都立高校入試への英語スピーキングテストの導入は見送るべきです。
グローバル化時代が到来しているのに、英語を話す力やコミュニケーション能力を軽視して良いのか? と思われる方もいらっしゃるかも知れません。ですが入試にスピーキングテストを導入しなくても、それらの力を引き上げることは可能です。
その方法は第一に、中学校の学級人数を現在の40人から20人に減らすことです。学級人数が今の半分になれば、教員が生徒一人にかけられる時間は倍になります。これはすべての科目の授業で効果がありますが、生徒一人ひとりが授業時間内にスピーキングに習熟できるような環境をつくれば、特に大きな効果を発揮すると思います。
第二に、英語教員の養成や研修のあり方を改善することです。英語教員免許状を取得する際に、「英語音声学」や「音声学」は現在のところ必修科目となっていません。音声指導の教育を十分に受けていなければ、生徒に自信を持って指導することはできないでしょう。教員養成や研修において「音声学」を重視し、優れた音声指導のできる英語教員を増やしていくことによって、生徒の英語スピーキング能力やコミュニケーション能力を高めることを目指すべきだと思います。