そこでもう一つの疑問が出てきます。先の一件で学力検査の結果を再点検することができたのは、採点の記録である答案が残っていたからです。スピーキングテスト結果の開示請求に応じるためには、音声データと採点記録が残されていなければいけません。
前回の「英語のスピーキングテストが危うい」でご説明したように、このテストの採点は音声データをフィリピンに移送して、現地で採点が行われます。その後、スピーキングテスト結果の音声データとその採点記録はどこに保管されることになっているのでしょうか?
東京都教育委員会は、スピーキングテストの音声データとその採点記録をどのように保管するかについて、試験実施前に明確な説明を行うべきです。それがなければ、スピーキングテストに対する信頼を得ることはできないでしょう。
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スピーキングテストのESAT-Jで算出された最高20点の得点は、調査書の「諸活動の記録」欄に記入されます。他にも在学時の全教科の成績などが同じように調査書点として換算されて記載されますが、私には、スピーキングテストの成績が占める割合がかなり大きく、入試のバランスを崩しているように思えます。
例えば都立高校入試の第一次募集(前期募集)の場合、学力検査が行われる5教科の調査書点は、通知表の5段階評価を4.615倍して換算されます。ですから英語で成績「5」を取ると、調査書点は約23点となります。
調査書点は「中学校3年間にわたる教育と生徒の学習の成果」を意味します。3年間、英語を教え学んだ成果の最高評価が約23点なのに対し、特定の1日に行われるスピーキングテストが20点にもなるというのはあまりにも配点が大き過ぎます。普段の授業や定期テストを軽んじていると思われても仕方ないでしょう。
しかも国語、数学、理科、社会の調査書点が最高約23点なのに、なぜ英語だけ調査書に記載された点数が全部で約43点にもなるのか? 合否のボーダーライン上にいる受験生にとって、調査書からの加点は重要このうえありません。それを英語だけ特別扱いしたような、アンバランスなものにしてしまってよいのでしょうか? 私は調査書点の存在意義そのものに疑問符が付く危険性があると思います。
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こうした見方に対して、「スピーキングテストは英語の調査書点とは関係なく、学力検査で『話す(speaking)』の問題が出されていないから、その点を補うものだ」という反論が来ることが予想されます。しかし、それならばなぜ、スピーキングテストの点数を英語の学力検査の中に含めず、調査書の「諸活動の記録」欄内に記載するのか? という疑問が生じます。
都立高校入試の英語の学力検査(100点満点)には、スピーキングテストの点数は含 まれません。完全に外付けの評価点です。受験生にとって、スピーキングテストの点数が調査書点と同様に、学力検査を受ける前の手持ちの点数となることは、少なくとも間違いありません。
調査書に記載される点数としても、学力検査の点数としてもうまく位置付かないスピーキングテストによって生じたアンバランスな状況。なぜ英語だけが他教科より大きい配点となるのか、そもそもなぜ20点なのか、これまで明確な説明は行われていません。都立高入試を実施する側は、この点について受験生や保護者、都民に納得のいく説明をすることが求められます。その説明がなければ、都立高の入試制度に対する信頼は大きく揺らぐこととなるでしょう。
ここまで述べてきたように、23年度の都立高校入試へのスピーキングテストの導入には、数多くの問題点があることが明らかです。これらの問題点を解決しないまま導入することには、反対せざるを得ません。これから都立高校を受験する生徒たちのために、公平かつ公正で、信頼できる入学試験が実現されることを心から願っています。