この年収を「出世」と呼ぶのは果たして適切でしょうか? 国税庁の「民間給与実態統計調査」(令和元年分)によれば、20~24歳の平均年収は264万円、25~29歳の平均年収は369万円でした。仮に返済目安を年収300万円と想定しても、20代後半の平均年収を大幅に下回っています。これでは普通に働いて、月並みの収入を得た時点で「出世した」とみなされることになるでしょう。
ということは、この出世払い制度は事実上、学費の負担者の移行を意味します。これまでは子の学費は親・保護者が払うというのが多数派でしたが、これからは進学した本人が負担することになります。実は現在の貸与型奨学金も、借り受けた学生が卒業後に返済する場合には、学費の本人負担という意味を持っています。出世払い制度は、その傾向をさらに促進することになります。
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労働者福祉中央協議会(中央労福協)が22年に実施した「奨学金や教育費負担に関するアンケート調査」によれば、奨学金の借入総額は平均で310万円です。出世払い制度は、近年進行している学費の「保護者負担意識の低下」を、一層加速させる可能性が高いでしょう。学費の高騰の可能性も含めて考えれば、多くの学生が平均400~500万円の借金を背負って社会に出るようになることが予測されます。
この出世払い制度によって、多くの若者が将来的に苦しむことになるのではないかと、私は危惧しています。まず、現在の貸与型奨学金を上回る金額を卒業後に支払うことは、経済状況や雇用制度が変わらない限り容易ではありません。2010年代、貸与型奨学金の返済に苦しむ若者の姿がメディアを通じて多くの人々に伝わり、奨学金返済問題として可視化されました。この時以上に、支払いに苦しむ若者が続出する危険性があります。
次に未婚化・少子化を促進する危険性です。中央労福協は、奨学金返済が生活設計に与える影響について、継続的に調査を行っています。22年の調査で、奨学金の返済が「結婚に影響している」と答えた割合は37.5%、「出産に影響している」と答えた割合は31.1%に達しており、しかもこの割合は15年以降、増加傾向にあります。
ご承知の通り、現在は少子化が急速に進行しています。20年の出生数は84万835人、21年の出生数は81万1604人、厚労省の調査によれば22年1~10月の出生数は66万9871人であり、このペースで推移すると22年の出生数は80万人を割り込む可能性が高いと予測されています。出世払い制度によって借金を抱える若者が増加すれば、望んでいても結婚できない、子どもが産めないという状況が一層促進されるかもしれません。
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そして、出世払い制度の導入による借金を抱えた若者の増加は、「経済的徴兵制」と結びつく危険性があります。日本学生支援機構の前原金一運営評議会委員は、14年5月に開かれた文部科学省の有識者会議「学生への経済的支援の在り方に関する検討会」で、奨学金返済に関連して次のように言及しました。
「延滞者が無職なのか、あるいは、病気なのかという情報をまず教えていただきたい。(中略)現業を持っている警察庁とか、消防庁とか、防衛省などに頼んで、1年とか2年のインターンシップをやってもらえば、就職というのはかなりよくなる。防衛省は、考えてもいいと言っています」
アメリカでは、軍のリクルーターによる高校生の勧誘が行われています。勧誘条件で最も有効なのが、「大学の学費免除」や「学資ローン返済免除プログラム」です。徴兵制を廃止して志願兵制を採用しているアメリカにおいては、深刻化する貧困と高い学費負担が若者の入隊を後押ししています。それは「志願」といっても事実上の「強制入隊」を意味し、「経済的徴兵制」と呼ばれています。
岸田政権は4年後の27年に、防衛費を現在の2倍となるGDP比2%にまで増額する方針を示しています。予算が増額されれば当然、兵力として人員増加も必要となるでしょう。「出世払い」という名の新たな学生ローンによる若者の「借金漬け」は、返済のため自衛隊への入隊を余儀なくされる危険性が高いと思われます。
出世払い制度では、学生は入学時にマイナンバー登録が義務づけられる方針とのことです。マイナンバーカードは現在、健康保険証との一体化でも紛糾していますが、これらが整備されれば多額の「学費返済義務」(=借金)を抱えた健康な若者の個人情報を政府が把握することが容易となり、経済的徴兵制を支える役割を果たすことになります。
入学金や授業料を国が立て替える出世払い制度には、進学・在学時の学費負担がゼロという一見大きな魅力があります。しかし一方で、そこには若者の「未来」を脅かす大きな危険性も孕(はら)んでいると言えるでしょう。