また入試の多様化は、受験科目が少なくてすむ大学を増加させました。すると、高校の早い時点で数学や国語を「捨てる」(=受験科目外の教科として真剣に学ばない)生徒が相当数で出てきます。しかし、そうした生徒を入学させた大学は、その後の教育で苦労することになります。例えば学力試験に数学を課さない経済学部、国語を課さない理系学部、世界史を課さない文系学部などでは、入学早々に補習を行う必要が生じることも少なくありません。
そして入試の多様化がもたらす最も深刻な問題点が、入学試験の公平性・公正性を切り崩し、格差拡大を助長する危険性です。選抜の方法が千差万別なので、進路指導もそれに合わせて複雑になります。結局、高校では十分な進路指導を行うことができず、生徒たちはより詳細な情報を求めて塾や予備校(いわゆる受験産業)を頼らざるを得なくなります。小論文や面接、探究レポートなど「特色ある入試」が新たに導入されれば、多くの塾や予備校がたちまちそれに応じたコースを開設します。そうなるとますます依存度は高まり、授業料や教材費などの費用負担も増加します。家庭によっては費用面で十分な受験対策ができない子も現れて、教育格差の拡大につながると思われます。
社会資源が豊富な都市部と、そうでない地方とで格差が生じるケースもあります。早稲田大学や慶應義塾大学など志願者が多い有名大学では、相応に厳しい入学者選抜が行われる一方で、付属の小中学校や系列校を設置しており、そこに入学すれば比較的有利に大学まで進める制度を有するところも増加しています。こうした進学システムも入試の多様化の一つと言えますが、有名大学の付属校や系列校の多くは首都圏・近畿圏・東海圏など大都市部にあるため、それ以外の地方出身者には不利でしょう。加えて、受験産業が集中する大都市部ほど、多様化する入学者選抜に関する情報を集めやすいという利点もあります。
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そして入試の多様化による「特色ある入試」は、一般選抜の学力試験に比べて受験生の出身階層、特に文化資本の大小によって公平性を失う危険性が高いと思われます。
フランスの社会学者ピエール・ブルデューは、「文化資本」が教育達成に与える影響を明らかにしました。ブルデューは近代の学校制度が出身階層による平等をもたらすのではなく、出身家庭内で培われる言葉遣いやふるまいが、教育達成に影響を与えるメカニズムを考察しました。ヨーロッパ諸国における古典の教養を重要視する中等教育や面接重視の試験では、出身階層の文化資本の大小が強く影響します。
戦後日本においては画一的な学力試験が広く実施されてきたため、受験産業が利用できる経済資本の影響は以前から強く存在していたものの、文化資本の影響力はヨーロッパ諸国よりは小さかったと予想されます。画一的な学力試験は、学校で教えられる定型的な学習内容を理解すれば、正解することが可能だからです。しかし、推薦入試や総合型選抜において、学校外の文化的活動や経験の豊かさが評価の対象となったり、面接での言葉遣いやふるまいが重要視されるようになると、受験生の出身家族の文化水準が強い影響力をもつ可能性が出てきます。それは受験生自身が自分の努力で習得することが難しい領域であり、出身階層による格差が拡大することになります。
以上、入試の多様化が引き起こしうる問題点をいくつか挙げましたが、明確に証明するためには詳細な調査が行われる必要があり、できる限り早く本格的な調査が行われることを期待します。そして近年、「多様化」や「多様性」は入試ばかりでなく、社会全体で称揚されるようになっています。しかし多様化は、公平・公正の原則抜きに進められれば「格差拡大」につながる危険性が極めて高いことを認識することが重要です。公平・公正の原則という視点から、入試の多様化について根本から検討し直す時期に来ていると思います。