2025年11月22日、東京・杉並区で開催された、杉並学習会&意見交換会「格差社会の果ての『新しい階級社会』の現実とは?」(主催:市民講座「政治をかえる8区の会」)に参加しました。
今回、私がこの学習会に参加したのは、テーマの「新しい階級社会」に関心があったのと、それを提唱した早稲田大学人間科学学術院教授の橋本健二さんとジャーナリストの永田浩三さんの対談が組まれていたからです。
橋本教授は私が学んだ東京大学大学院教育学研究科の先輩で、私が大学院で学んでいた時、研究会などでさまざまなことを教えていただいた方でもあります。ジャーナリストの永田浩三さんは、私が勤務する武蔵大学で今年3月まで社会学部教授を務められ、職場の同僚として親しくさせていただきました。私と縁のあるお二人の対談があるということで、その内容を楽しみにして足を運びました。
まず、橋本教授から「新しい階級社会・日本を変えるには」というミニ講演があり、その冒頭で「格差社会」という言葉が聞かれました。「格差社会」は06年に「新語・流行語大賞」のトップ10、13年には同賞過去30年のトップ10にも選ばれるなど、現代社会を象徴する言葉でもあります。
講演の中で橋本教授は、所得や資産の分配がどれだけ平等かを示す指標である「ジニ係数」のデータを示し、「格差拡大は21世紀に入ってから始まったのではない」との研究報告をもって「戦後日本における格差のメガトレンド」を論じました。その中で強調されたのが、1980年前後からの「格差拡大の40年間」です。この40年について橋本教授は、グローバリゼーションやサービスの経済化といったマクロな背景に加えて、政府と企業の「格差拡大策」が影響したと言います。
特に興味をそそられたのが、日本経営者団体連盟(日経連)が95年に発表した『新時代の「日本的経営」』と、経済戦略会議が99年に発表した『日本経済再生への戦略』という二つの文書です。『新時代の「日本的経営」』のエッセンスは、これまで日本は安定した「終身雇用」を基本としてきましたが、今後は長期の安定雇用は一部の幹部社員だけに限定して、それ以外は非正規雇用に転換すべきというもの。一方の『日本経済再生への戦略』は、日本の経済成長を妨げている要因の一つを「過度に平等・公平を重んじる日本型社会システム」とし、経済の再生には「行き過ぎた平等社会」と決別して、個々人の自己責任と自助努力のもとで「健全で創造的な競争社会」を構築することが必要と述べています。
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橋本教授が「格差拡大の40年間」を論じる中で、この二つの文書を取り上げたことは、とても重要なポイントだと思いました。かたや戦後日本の経済成長と生活基盤を支えてきた長期の安定雇用を一部労働者に限定する、かたや行き過ぎた平等・公平こそが経済成長を妨げている――とする、それぞれの主張が注目されます。
この二つの文書が発表された95~99年という時期も重要だと思います。橋本教授の分析では、日本社会における格差拡大は80年前後から急速に進んでいたと言います。ということは『新時代の「日本的経営」』が出された時には、そこから約15年、『日本経済再生への戦略』に至っては約20年が経過していたことになります。
前者では長期安定雇用の限定と非正規雇用の増加が提案されましたが、80年前後から格差拡大が始まっていたことを考えれば、その提案がすでに進んでいた日本の格差社会化を一層加速させることを意味するのは明らかです。後者が改革対象とした「行き過ぎた平等・公平を重んじる日本型社会システム」も、前提自体が誤っていたと言わざるを得ません。
誤った前提や認識に基づく政策提言は、大きな弊害をもたらします。橋本教授は報告の中で、『日本経済再生への戦略』の影響に関して「日本社会は『過度に平等』だというのが、いわば政府の公式見解になり、政府は格差拡大の事実を直視せず、格差拡大を食い止めるような政策は実行されなくなった」と考察しました。このことからも経済戦略会議の責任は、とても重いと私は思います。
実際、『新時代の「日本的経営」』と『日本経済再生への戦略』が与えた影響は、相当大きなものであったと私は思います。たとえば99年、派遣法の規制緩和によって派遣対象業務がそれまでの「原則禁止・例外許可」から「原則自由・例外禁止」へと変えられ、これ以降派遣労働者は増加しました。総務省統計局の『労働力調査』によれば、派遣労働者を含む非正規労働者の数は、94年の971万人から2004年には1564万人へと、この時期に急増します。この点から二つの文書は、非正規雇用労働者の増加を促進する役割を果たしたと見ることができます。
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ここで、私が関心をもつ「若者の貧困」とのつながりが見えてきました。非正規労働者の増加によって生み出された若者の貧困は彼らの自己責任ではなく、1980年代以降の政府と企業の「格差拡大」策によって生み出されてきたことになります。
橋本教授の議論のオリジナリティーは、家計補助的に働くパート主婦以外の非正規雇用労働者を、従来の労働者階級と区別される新しい下層階級が生み出されたとして、「アンダークラスの出現」と明示化したところにあります。そして、アンダークラスは現代社会を構成する4つの階級 (資本家階級、新中間階級、労働者階級、旧中間階級)とは別の階級であり、新しい下層階級が形成されたことをもって現代日本は「新しい階級社会」となっていると主張します。
統計データから実証的に示された、アンダークラスの特徴は以下の通り。平均個人年収は216万円で正規労働者階級486万円の半分未満、貧困率も37.2%と正規労働者階級の7.6%を圧倒的に上回っています。さらに未婚率は69.2%で正規労働者階級34.6%の2倍の高さです。こうしたデータから、アンダークラスは正規労働者階級と明確に異なる特徴をもつ「新しい下層階級」であると橋本教授は位置づけます。
特に注目すべきは未婚率の高さです。橋本教授は「労働者階級が次代の後継者を産み育てるだけの賃金を得られなければ、健全な資本主義は存続できない」と言います。日本社会では結婚と出産の相関が高いですから、未婚率の高さは少子化に直結します。しかし、アンダークラスの未婚率の高さは、次代につながっていないことを意味します。
さらには、「格差社会が明らかになったころから『金持ちの子は大人になっても金持ち』『貧乏人の子はいつまでも貧乏』など、格差の固定化や再生産が話題となったが、事態はさらに深刻でアンダークラスは家族を形成できず、再生産しないことから、この階級が今の規模で存在する限り、他の階級からその担い手が調達されることになる」とも説明。いわば社会全体に影響を及ぼす問題だと言うのです。
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私はこの説明を聞いて、アンダークラスの出現は若者にとって特に重大な問題だと思いました。他の階級の家庭で育った若者も、将来アンダークラスに陥っていく構造が生み出されているからです。アンダークラスの出現は、未来の担い手である若者全体に関わっており、彼らの教育や雇用、社会保障のあり方を考える上でも、強く意識すべき論点であると考えます。