世界中で加速する温暖化、あるいは気候変動への対策が、環境問題であるだけでなく正義や公正、公平の問題でもあるという考え方のこと。環境正義(Environmental Justice)ともいう。欧米の気候変動対策を訴えるマーチ(デモ)では「私たちが求めているのは気候正義だ!」というチャント(かけ声)が頻繁に叫ばれている。温暖化の被害が先進国以上に途上国を襲い、貧困層を直撃し、格差を拡大し、難民を発生させ、軍事的な対立や紛争を誘発するという、世界で広まりつつある認識が背景にある。
気候変動についての国際交渉は、正義や公平性に関する議論あるいは対立の歴史であった。第一に、温室効果ガスの排出削減問題は「現世代の間および現世代と将来世代との間で、有限の温室効果ガス排出量を正義や公平性を考慮しながら分配しなくてはならない」ということに帰結するからだ。
第二に、それは途上国と先進国の間における分配と公正の問題だからである。途上国は「自分たちも豊かになるためには温室効果ガス排出は必要不可欠だ」と主張してより大きな分配を求め、あるいは「これまで化石燃料を多く使ってこなかった自分たちが熱波や干ばつ、洪水といった気候変動による被害を、先進国より大きく被っているのはおかしい」と不公正を訴える。一方の先進国は、既得権益を手放すまいとする。
気候変動問題はまた、エネルギー問題そのものであり、それは戦争の問題ともつながっている。多くの戦争の原因にはエネルギー資源の奪い合いがあるからだ。
結局、気候変動対策は化石燃料エネルギーに依存する現在の政治経済・社会システムの構造改革に行きつく。したがって、現システムにおいて既得権益を持つ社会的強者がこれに立ちはだかることになる。一方、温暖化による災害によって大きな被害を受けるのが社会的弱者であることは、様々な災害が証明している。発言するすべがないという意味では、「将来の世代」もまた「社会的弱者」と言える。貧困や格差を改善しようとする際に抵抗するのも、既得権を持つ社会的強者である。
すなわち、気候変動とエネルギー、原発、核兵器、戦争、貧困、格差、差別などの問題や課題は、一見バラバラのようでも深い根っこのところではつながっており、立ちはだかる企業や国家も重なっているのである。
ゆえに今、脱温暖化をめざす運動と社会正義を実現するための運動は、今、急速に近づいている。その具体的な批判対象は、「貧困」「格差」「資本主義」「新自由主義」「市場主義」「大企業・独占企業」「ウォール・ストリート」「化石燃料会社」「先住民・マイノリティ差別」「白人至上主義」などの政治経済や社会システムに関わる極めて広い問題群なのである。
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