人類による20世紀中ごろ以降の著しい地球環境改変により誕生した、現在を含む新たな地質時代のこと。フロンガスによるオゾン層破壊の研究でノーベル化学賞を受賞したポール・J・クルッツェン博士と古環境学者のユージーン・F・ストーマー博士によって提案された人類(Anthropo)と新世(cene)を組み合わせた造語(Anthropocene)である。2000年のIGBP(地球圏-生物圏国際協同研究計画)の会議で、地球環境変化に関する当を得ない議論に耐えかねたクルッツェン博士が話題をさえぎってとっさに発言したことで知られる。
国際地質科学連合が定める国際年代層序表に従えば、現在は約1万2000年前から始まった「完新世」という地質時代であるが、クルッツェン博士は、近年の人類活動の活発化によって地球環境は著しく変わっており、完新世はすでに終わり、現在は人新世(Anthropocene)という地質時代であると主張した。その後、人新世という単語は科学分野だけでなく、社会科学、人文など様々な分野で広く用いられるようになり、プラネタリーバウンダリー説(人類がもたらした地球環境の変動が、人間が安全に活動できる限界を越えたレベルにまで達しているという主張)と結びついて、持続可能な開発目標(SDGs)のような社会変革構想につながった。
人新世について、地層中に層序単元(地層上の時代区分)としてその存在を認定できるほどの明確な証拠があるかどうかについて、人新世作業部会(国際地質科学連合の下部組織)を中心に長年検討されてきた。その結果、地球上の様々な地層(海底や湖の堆積物、氷、サンゴ、樹木、鍾乳石等)に、完新世の地層には見られなかった、人類による環境・生物相変化の痕跡が記録されており、人新世を地質学的に認定できる十分な証拠があることがわかってきた。例えば、大気中の二酸化炭素の濃度は、現在、過去80万年間で最も高い濃度であり、地球温暖化が進行していることや、大気圏・地圏・水圏・生物圏をめぐる窒素循環の変化が過去25億年間で最大規模であることが、地層から読み取れる。
また、生物種がこれまでにない異例の速さで絶滅し、このまま行けば地球史上6回目の大量絶滅が起きる可能性がある。石油・石炭燃焼由来の物質や、核実験由来のプルトニウム・セシウム・炭素などの放射性核種(放射能を持つ元素)や、PCBなどの有機化合物、重金属等の環境汚染、沿岸海洋や湖沼の富栄養化なども、地層から読み取れる。今後もこうした人類活動の痕跡は地層中に長期間残ると考えられ、人新世がこれまでの完新世と一線を画す地質時代になり得ることが示された。
地質時代としての人新世の始まりについては、人口の増加、工業化、グローバル化が急速に進み、地球規模で環境や生物相に著しく影響が及んだとされる20世紀中ごろと考えられている。現在のところ、完新世と人新世の境界については、放射性核種の濃度が増加し始める1950年代、あるいはピークを迎える1964年に置く説が有力である。
地質時代が公式に認められるためには、原則としてその時代の地層の下限を示す地層境界の国際標準模式地(正式には、国際境界模式層断面とポイント。GSSP〈Global Boundary Stratotype Section and Point〉と呼ばれる)を設定する必要がある。例えば最近、チバニアンという中期更新世の地質時代の始まりを示す国際標準模式地が千葉県の地層に認定されたことが話題になっている。これに対して、人新世については、現状では層序単元としての人新世の存在さえ正式には認められておらず、そのGSSPも設定されていない。したがって、今のところ地質学が定める地球史に人新世という時代は記されていない。
しかし、人新世の「GSSP」の候補としては、2020年時点で、日本の別府湾海底堆積物やバルト海海底堆積物、オーストラリアのグレートバリアリーフサンゴ礁、南極氷床などが挙がっている。今後、作業部会でGSSPが選定された後に、層序単元としての人新世とそのGSSPが、国際地質科学連合の下に置かれた第四紀層序小委員会と国際層序委員会で賛成が得られ、国際地質科学連合の理事会で批准されれば、人新世は正式な地質年代区分となる。