同じ性別の者同士が結婚すること、あるいはその結婚に法律上の保護を与える制度のこと。社会問題あるいは政治課題としては、後者の意味で使われることが多い。同性カップルも異性カップルと区別なく同じ婚姻制度を利用できるようになることであり、同性カップルのパートナーシップ関係を法律上保護する他の制度とは区別される。
同性カップルのパートナーシップ関係を保護する制度が世界で初めて実現したのは1989年のデンマークで、2001年にはオランダで婚姻としての同性婚が認められた。以後、ヨーロッパを中心に多くの国々で法制度としての同性婚が認められるようになった。アメリカ合衆国では、2015年6月に連邦最高裁判所が、同性婚を含む婚姻を憲法上の権利であると認める判決を出したことにより、全ての州での同性婚が実現した。東アジアでは2019年に台湾で同性婚を認める立法がなされた。
日本の現在の婚姻制度は、戸籍の性別を基準として、同性カップルは婚姻制度から完全に排除されている。そのような中、2019年に、国が同性婚の法整備をしないことの違憲性を問う訴訟が複数提起された(いわゆる「結婚の自由をすべての人に」訴訟)。
その訴訟の一つで、札幌地方裁判所は、婚姻によって生じる法的効果の一部ですらもこれを享受する法的手段を提供しないとしていることは、立法府の裁量権の範囲を超えたものであって、その限度で憲法14条に違反するとの判決を出した(2021年3月17日札幌地方裁判所判決、原告控訴により未確定)。これは、婚姻制度から同性カップルが排除されていることを憲法違反としているのではなく、婚姻関係から生じる特別な権利等を、同性カップルに一切保障していないことが憲法違反であるという判断である。
この判決の考えに基づけば、婚姻制度を利用できないことによる不利益が生じないよう、税制や社会保障における優遇や、後見制度の利用や相続におけるパートナーの法的地位などが何らかの形で保障されるのであれば、同性婚が実現されずとも憲法違反は解消されることになる。
ただ、この判決のような考え方に対しては、人の営みとして自然に形作られるカップルの関係について、国の制度が同性カップルと異性カップルとを区別すること自体が、憲法14条に違反する不合理な差別であり、婚姻の平等が保障されているとはいえないとの批判が成り立つ。
なお、憲法24条の「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し」という文言を挙げて「同性婚は憲法で禁止されている」とする見解をメディアなどで見ることがあるが、これは憲法の解釈論としては俗説と呼ぶべきものである。憲法は同性婚を禁止していないというのが通説であり、先の札幌地裁の判決もその立場である。最高裁も、戸籍の性別変更による同性婚状態を生じさせない趣旨で定められた性同一性障害特例法の非婚要件(法3条1項2号「現に婚姻をしていないこと」)について、憲法24条に基づく当然の要件とは捉えず、あくまでも立法裁量の範囲としている(2020年3月11日最高裁判所第二小法廷決定)。
とは言うものの、仮に今の日本の婚姻制度のままで同性婚を認めた場合、例えば離婚後300日の出産まで及ぶ前夫による父子関係の推定(民法772条2項)や、女性のみに対する再婚禁止期間(民法733条)など、異性カップルを前提に男女で異なる取り扱いをしている現在の規定を、同性カップルの婚姻にどのように適用するのかが問題となる。また同性カップルであっても、夫婦同氏(民法750条)に従わなければならない。
つまり、選択的別姓、出産する女性や子どもからの父子関係選択、そして再婚禁止期間の撤廃など、性別に関係なく婚姻関係内の当事者の平等が保障される婚姻制度が実現してこそ、婚姻の平等としての同性婚が実現できるといえる。
なお、地方自治体によっては同性パートナーシップ制度が設けられている。これには法的効果は存在せず、同性婚と同列に考えることはできない。しかし、同性カップルの存在を可視化し、公に祝福し承認するものとして、同性婚についての社会的、政治的議論を活性化させる契機とはなるだろう。
とはいえ、現在の日本では同性婚についての議論は活発とは言い難く、同性婚を実現しようとする機運は極めて乏しい。そして、実現の目途が立たない婚姻制度の代替として、普通養子縁組によって法律上の養親子関係を形成し、生活の便宜や相続等の権利保障をはかる同性カップルも多いのが現状である。