2020年10月、沖縄タイムスで基地問題の取材を続ける編集委員の阿部岳さんが、朝日新聞記者でルポライターの三浦英之さんの案内で、福島の帰還困難区域や東日本大震災・原子力災害伝承館を訪れた。伝承館と三浦さんの新著『白い土地』をめぐって、物語とジャーナリズムのあり方について語り合った。
(前編はこちら)
伝承館と大きな物語を語る責任
三浦 阿部さんには、約半年ぶりに沖縄から来てもらって帰還困難区域と開館したばかりの伝承館を見てもらいましたが、いかがでしたか?
阿部 伝承館は、想像していたよりは悪くなかったですね。地元の子どもたちが「(原発が建ったことで)お金持ちになれてよかったです」と書いている作文が展示されていて、当時の教育の誤りを明確に示すものが見られたのはよかったと思います。だけど、原発事故がどこか天災として扱われていて、東電と国の責任についてはまったく触れられていなかった。
三浦 伝承館の展示は「なぜ原発事故が起きてしまったのか」ということよりも、「福島は未曽有の原発事故からいかに復興したのか」ということに重点が置かれています。伝承館のオープン初日に一緒に展示を見て回った元原発作業員の人は、見終わった直後、「こんなの『Fukushima 50』と同じじゃねぇか!」と叫んでいました。映画『Fukushima 50』は原発事故の直後、原発構内に残った原発作業員がいかに命を懸けて原発を守ったかという感動物語です。僕は、映画は一つの表現方法なので、それはそれでいいと思う。でも、伝承館は「感動物語」ではいけない。なぜ東京電力は津波を防ぐための防潮堤を高くしなかったのか、なぜ防水扉をつけなかったのか、なぜ予備電源を水没しないところに上げなかったのか。それらを、国の事故調査委員会とか、識者が検証したものをベースに展示しなかったら、なぜ原発事故が起きたのか、その教訓を学べない。僕らの子どもたちの世代が、また同じような過ちを繰り返してしまいます。
阿部 伝承館は、福島県の公共施設ですからね。住民の生命と財産を守る責任がある行政が、伝承館の展示をこういうふうにつくったというのは、おかしいと思います。事故への対応や復興にあたった個々の人たちが大変だったということはよくわかります。だけど、そうした事故対応にスポットライトを当ててしまうと、より大きな構造的な責任だとか、そういう政治的なものを覆い隠すことになってしまう。
個の物語によって時代を描く
三浦 公共施設である伝承館は「為政者から見た事実」が展示されているように思います。一方、僕が今回、『白い土地 ルポ 福島「帰還困難区域」とその周辺』という本の中でやりたかったことは、国や電力会社といった「大きな主語」によってではなく、市井で暮らす小さな一つ一つの「個の物語」によって、原子力災害とは何なのか、その全体像を描くということでした。
阿部 三浦さんは、市井の人を描くときに、読者が共感する取材対象と出会う力がある。この本の中に出てくるけど、新聞配達に行く前に居酒屋でウーロン茶を飲みながら、そこに集う人たちと話している場面があるでしょう。そうやって人に出会って、個のつぶやきを集めることで、物語が紡がれている。
三浦 悲しい中にフッと笑えるような話があったり、楽しい会話の中にちょっと悲しい事実があったり。そうした想像し得なかったコメントが出てきたときが、取材者としては実は一番ありがたいんですよね。たとえば、木村紀夫さん(木村さんと三浦さんとの対談はこちら)は、津波で家族を亡くしていて、帰還困難区域にある家にも帰れない。そんな彼に「復興五輪ってどう思いますか」と聞いたら、「オリンピック、ちょっと楽しみなんだよね」と言う。なぜですかって聞くと、「俺、陸上選手でさ、世界陸上も9日間連続で通い詰めたこともあるんだよ」と、熱っぽく話し始めるわけですよ。本当は「復興五輪なんて、とんでもないよ」みたいなコメントを期待していたのだけれど……。
阿部 そこで物語の流れが変調する。でもそこが印象にも残るし、この人は「被災者」という面だけではなくて、いろんな面があるんだ、当たり前だけれども「人間」なんだということが、伝わってきます。記者の仕事は、本来こんなふうに多様な人に会って、一人の中にも同居している多様な考え方に触れられるということが楽しみですよね。
三浦 『白い土地』では、前半はそうした個のストーリーが積み重なっていきます。ところが、最後になるにつれて次第に大きなストーリーにズレていく。その原因は、地方行政の歪みや揺らぎだったりするのですが、根源にあったのは、最高権力者の「不知」だったと思います。
阿部 知らないっていう意味ですか?
三浦 そうです。安倍前総理は割と頻繁に福島に通って原発被災地に積極的にコミットしているように見せていましたが、実は福島の現実については、ほとんど理解していなかったのではないかと僕は思っています。だからこそ、東京五輪の誘致のときに福島第一原発を「アンダー・コントロール」なんて表現できた。あの発言を聞いた多くの福島県民は驚愕したと思います。安倍さんを実質的には評価していた浪江町の馬場町長も記者会見を開いて、あの発言は無責任だと、不快感をあらわにしていましたから。
阿部 被災地の人たちはもちろんですが、私たちは常に、安倍前政権が長く続いた歪みなど、個を超えた大きな状況に巻き込まれながら暮らしています。