コントロールされたメディア
三浦 僕は今の「記者クラブ」のあり方を根本から変えなければいけないと真剣に考えています。過剰な特ダネ競争にさらされ、いかに取材対象に食い込んで情報を取ってくるかが記者の大きな評価基準になってしまっている。政府や取材対象を批判することで、自分だけが嫌われて、情報を教えてもらえなくなったらどうしようと考える記者が多勢を占めてしまうのも当然です。特ダネを他社に書かれてしまう「抜かれ」は仕方ないとしても、記者クラブの中で自分だけが情報を知らず、自社の媒体だけに情報が載らない「特オチ」は、記者なら誰だって避けたいと思うのは当たり前ですから……。
五百旗頭 日本のメディアは、そういうところがガラパゴスだと思います。本来、特ダネではないものを、ちょっと早く伝えるだけで特ダネとしている。それは結局、権力側にコントロールされているだけではないでしょうか。
三浦 政府や行政は昔から、メディアを自分たちに都合の良いように使おうと苦心してきました。一方で取材する側は、行政が隠しているネタや不祥事を事前に握ることによって、簡単に操られないよう水面下で激しく交渉し、しっかりと抗ってきたんです。それが、今はなぜか政府や行政と一体化してしまっているような記者が現れて、メディア全体が行政にうまくコントロールされてしまっている感が否めない。たとえば、福島県の双葉町に開館した「東日本大震災・原子力災害伝承館」でも、何を展示するかという極めて大切なコンセプトを決める非公開の選考委員会に、地元紙2紙の編集局長が入っていたりする。そうすると、地元紙の記者はどうしても展示内容に批判がしにくくなってしまう。ジャーナリズムとしての健全性を保とうとするのであれば、権力との距離はもっと慎重に取るべきだと思います。
五百旗頭 そうしたことは、各地で起きていますね。富山県では、冬季は閉鎖している立山黒部アルペンルートを通年営業にして、山岳リゾートにする「世界ブランド化」構想を石井隆一前知事が掲げていました。ところがその構想には安全性などの面で懸念の声も上がっていた。私は実際に立山黒部の冬の厳しい環境を撮影したり、推進派、反対派双方の意見を聞いて、『沈黙の山』という番組(チューリップテレビ、2018年放映)を作って問題提起をしたのですが、地元紙2紙は、社説で県のアナウンスどおりに構想をバックアップしていました。
「マスゴミ」批判に対する危機感
三浦 為政者や身内に忖度ばかりして、悪いものを悪いと報じていけなくなると、徐々に事実が歪められていき、結果として市民がどんどんマスメディアから離れていきます。報道番組や新聞記事が「どうせ作り物でしょう」と思われてしまったら、多くの人がテレビや新聞の情報ではなく、良くも悪くも本音が露呈されているツイッターばかりを眺めてしまう。そうした危機感を、今どれだけのメディア関係者が持ちあわせているか。経営が悪化しているだけでなく、もっと本質的な、情報の信頼性が失われていることに、僕らはもっと自覚的であるべきだと思うのです。
五百旗頭 ネット上などで「マスゴミ」とよく言われますが、本当に悔しいですね。私が所属していたチューリップテレビは、平成元年にできた新しい放送局なんです。取材現場などでもずっと見下されてきました。県警キャップになって県警幹部に挨拶に行ったら、「え? お前、チューリップテレビ? 痛いよな」と言われるんです。中央からきた記者が私たちに対して不遜な態度をとることもたくさん見てきました。でも、いつか見返してやるぞという下剋上の精神をもってやってきました。自分たちはずっと弱い立場できたからこそ、弱い立場の人たちの気持ちも分かる。それを見失ってしまったら終わりだという危機感を持っていました。
「復興」という免罪符
三浦 報道とは何か、新聞に求められるものは何なのか、ということについて、福島で取材をしているとよく考えさせられます。福島で市井の人々の話を聞いていると、紙面で大きく取り上げられる行政発表のイベントや復興政策のニュースなどについては、誰もほとんど読んでいない。みんなが食い入るように読んでいるのは、実は死亡欄なんです。かつては一緒に暮らしていたご近所さんが、今はもうバラバラになって避難生活を送っているので、誰が死んだのか分からない。それを知るために死亡欄を読む。そして自分と同じ境遇にある避難者や被災者が、今どんな人生を、どんな感情を抱いて生きているかというストーリー記事を、みなさん熱心に読んでいます。福島にはいまだに圧倒的な不条理が存在しています。かつて‟DASH村”があった場所として知られている福島県の旧津島村には震災前は約1400人の人が住んでいましたが、放射線量が高くてまだ一人も帰れていません。そういう現実が未だにあるのに、メディアが行政発表に乗って「復興」を大々的に発信することは、行政の「不作為」の免罪符になっていないか。「復興」という言葉は、復興できない人たちにとって、とても残酷な行政用語であることを、僕は忘れてはいけないと思います。