原子力災害を表現することの不自由さを越えて
三浦 歌人の俵万智さんは、原発事故のとき、こんな歌をつくって仙台から沖縄へ避難しています。〈子を連れて/西へ西へと逃げてゆく/愚かな母と/言うならば言え〉。この歌を知った当時、私は短歌というものがこれほどまで豊かに自分の意思や心の中を表現できるものなのかと感嘆しました。私が書いているノンフィクションは、登場人物の人生の流れを描くので映画のようなところがありますが、短歌は、日常の出来事における一瞬の心の揺れをとらえる、写真に似た装置であるように思いました。原子力災害についての表現というのは、もっと多様多種であるべきだと思うのですが、「風評加害」と言われることを気にしてなのか、あまり多く作られていないような印象を受けます。
三原 震災後、大した被害に遭っていない人間が震災や原発事故を短歌に詠んでいいのかという議論は、シンポジウムなどで繰り返しなされてきました。私としては、これは震災や原発事故を自分事にできるかどうかという、想像力の問題だと思っています。私は、原子力災害というのは日本中、世界中のみんなの問題だと思っていますし、実際そうなんです。関西電力も四国電力も九州電力も、原発を持っていて、いつ事故が起きるかはわからない。ところが、多くの人にとって、原発事故はまだまだ福島だけの、他人事だと思われている。自分のところは大丈夫だ、というある種の「心の防衛反応」が働いているように思えるのです。
三浦 福島で取材をしていてつくづく感じるのは、やはり「言論の不自由さ」です。そして、その不自由の根底には、巨額のカネが絡んでいる。政府や電力会社といった原発の再稼働を推進する勢力が、イベントやシンポジウムで多数の芸能人を用いて宣伝したり、メディアに広告をうったりして、それらに反対する人々の声を抑圧している。物を言いにくい空気を醸成している。
そして、福島で原発事故を語りにくいもう一つの理由は、被害者と加害者が極めて身近にいるということですね。福島には廃炉作業で働いている方もいれば、東京電力の方も住んでいる。身内や近所にも、除染や原発関係を生業にしている人がいる。その人たちに対して、政府や東京電力はおかしいと口にすることは、やはりなかなか難しい。
でも、こうした福島の言論の窮屈さには、これを言ったら相手が傷つくんじゃないか、という、行き過ぎた思いやりがあるんじゃないかと私は思うんです。それを取り払っていかない限り――現状を本音で議論していかない限り――現実は何一つ変わらない。それを先頭に立って発言していくのが、この時代に生きる表現者としての使命なのかもしれません。
三原 そうですね。やっぱり、誰かが声をあげないといけない。最初は、自分が被災者の代弁者になりたいと思っていた時期もありました。だけど、やはり状況がみんな違うから代弁することなんてできないんですよね。結局、自分が自分の言葉で話すしかない。私にとって、原子力災害を表現するのは、国や東電にも負けたくないという負けず嫌いであると同時に、自分に嘘をつきたくないという内面との闘いでもあります。原発事故が何を壊したのか、そしてそれを隠すためにどのように美化したのか。私はその現実を短歌で表現して、これからも記録していきたいと思います。