ゲームにのめり込む人にも様々なタイプがある。ロールプレイングゲーム(RPG)などで主人公の成長をコツコツと楽しむタイプ、格闘ゲームなどで自分のスキルアップに達成感を得るタイプ、レースゲームなどで頂点を極めるまでやり込むタイプ。女性ゲーマー〈チョコブランカ〉こと百地裕子を苦しめてきたのは、自他共に認める完璧主義で、気楽に構えて生きることができない生来の性格。劇的に上手くならなければ、ゲームをしても楽しくない……今回は、そんな彼女を少しだけ変えた夫〈ももち〉のアドバイスを紹介したい。
とても疲れる生き方をしていた私
突然ですが、私は生きることに不器用です――。
こう言うと夫の〈ももち〉は「高倉健か!」とツッコミを入れて和ませてくれますが、まさに不器用。自分が「不器用だ」と気づいてから、私は少し気楽に生きていけるようになりましたが、それまではとてもとても疲れる生き方をしていました。
それに気づかせてくれたのはゲームと夫です。
今回は、生きることに不器用だった私が教えてもらった“生き方のコツ”を、皆さんと共有してみたいと思います。これから話す内容は基礎中の基礎で、世渡り上手になるコツとか、楽して生きるコツとかそういう類のものではなく、普通に人生を送るための“生き方のコツ”です。なので、普通に生きることができている人には、退屈なお話になるかもしれませんがご容赦ください。
まず、私のどこが不器用かというと、完璧主義者なところです。しかも「できないくせに完璧主義者」なのです。
私は何でもかんでも、とにかく目標を高く設定してしまいがちでした。常に実現困難な高いゴールを目指してしまうので、ゴールまでにいくつかあるハードルを超えられたとしても、達成感を感じることができないのです。
“目標は高く持て”とは言いますが、自分の限界の少し上くらいがちょうどいいとも言いますよね。目標が高すぎると、ちょっとした成長には喜びを感じられません。ちょっとした成長――これはゲームで例えると、対戦型ゲームで負け続けていた相手に苦心して勝てた時や、対戦相手に勝てばもらえる(負ければ失う)ポイントを一定値まで獲得できた時に似ています。レースゲームで言えば、自己ベストタイムが出た時もそうです。これらに素直に喜びを感じられないということです。
本来、ゲームというものは小さなハードルがいくつも設けられていて、それらをクリアしていくところに達成感や喜びを感じ、楽しいからもっと遊ぼう! となるものだと思います。ですが完璧主義者だった頃の私は「これくらいできて当たり前だろう」とか、「まだまだ全然ゴールに届かない。こんなんじゃ駄目だ」と思っていました。これはゲームが上手下手という前に、ゲームの楽しみ方自体が下手だし、もっと根本的なところで「生き方が下手なんじゃないか?」ということなのです。
考え方を変えれば生きやすくなる
できないくせに完璧主義者だった私は、学校のテストでいい点を取った時も、習い事でいい結果を出せた時も、陸上部の部活で好成績を残せた時も、会社員時代に商談を成立させた時も、大きな喜びは感じられませんでした。ちょっとは嬉しかったりするのですが、「こんなのできて当たり前」と、気が付いたら素直に喜べない人になっていました。
それどころか、自分では成長が感じられないので焦り始める、成長しない自分が許せない、成長できない自分が情けない……。書いているだけで気持ちが暗くなってきますね。こんな生き方を何年も続けていると、終いには「生きていても何も楽しいことがない」と思い始めて壊れてしまいますよ。
そんなふうに壊れそうだった私に、ズバッとツッコミを入れてくれたのが〈ももち〉でした。「できないくせに完璧主義すぎない?」と。その言葉が直球すぎて、最初はカッキーンと場外ホームランのごとく吹き飛んでしまいそうな気持ちになりましたが、その後で彼はこうも続けました。
「なぜ、自分は何でもできると思ってるの? 俺、自分は才能ないと思ってるし、何事もできないものと思って始めるよ。そしたら焦ったりイライラしたりもしないし、ちょっとしたことも嬉しくなるよ。あなたがしんどいのはあなた自身の考え方のせい。考え方を変えればもっと生きやすくなると思うけど」
そこまで聞いて「なるほど」と納得。いや、正確には最初の一言でカチンときて逆ギレ状態になり、「もういい!」と家の外へ飛び出し公園を散歩して、少し頭を冷やしたあたりで納得できました。
確かにRPGの主人公も、大抵最初は何も能力を持っていない。装備している物も防具は布の服から始まり、防御力はとても低い。攻撃力だって、ぼろぼろの剣から始まってほとんど素手同然。チュートリアル(基本操作などのレッスン)を経ていざ広いマップに放り出されても、最初はさほど強くない敵と戦い始め、経験値を積むことでレベルアップしていく。そうして物語を進めるうちに、いろんな能力を身に付け強くなっていく。
オープンワールド形式のゲームであれば、初期状態でいきなり強い敵に向かっていくことができたりもするけれど、きっと返り討ちに遭う。ゲームクリア後にレベルや装備を保ったまま物語をまた一から始められる「強くてニューゲーム」モードでも使わない限り、基本的には無理ですよね。何度も何度も倒されて敵の攻撃パターンを理解すれば勝てたりもするけれど、それはゲームの中の主人公の能力は初期状態でも、プレーヤー自身の経験値や操作能力が上がったからでしょう。
要するに、世界を救っちゃうようなとてもカッコいいゲームの主人公だって、最初は何もできない状態からスタートするのです。何もできない状態から、少しずつ能力値を上げいろいろなことができるようになる。時には広大なマップでいきなり高い能力を持った敵やプレーヤーとすれ違うかもしれないけれど、何も卑屈に感じなくてもいい。自分は自分の物語を自分のペースで進めていけばいい。
そう思うと途端に、気持ちに余裕が生まれました。無駄に焦ることも無駄に疲れることも減り、小さな楽しみを感じられるようになりました。
「できないもの」からスタートする
努力できない人間なのではなく、目標設定が下手――。
実はこれ、つい数日前に夫に言われました。最近、ゲームセンターにあるレースゲーム「頭文字D ARCADE STAGE Zero」(セガ・インタラクティブ)で新しいコースを練習し始めたのですが、なかなか速くならず躍起になっていたら、いつのまにか「できないくせに完璧主義モード」を少しばかり発動していました。以前よりは気楽に生きられるようになったとはいえ、人間が完全に変わるというのはなかなか難しいものです。
練習していたら、いつのまにか「なぜ私はこんなに遅いのか?」と、徐々にタイムは更新していたのに喜べないモードに。さらに「そもそも全国対戦モード(インターネットを介して全国のプレーヤーと対戦できる)をやるにはもっとたくさんのコースを走れなければならないのに、こんなコース一つろくに走れない。自分はなんて情けないんだ。私は努力ができない人間だ……」なんて思い始めたところで閉店時間になり、半べそかきながら帰宅。しょぼくれながら夫のゲーム部屋(書斎のような仕事部屋)に顔を出し、「ただいまー。わたしゃ努力ができない駄目人間だよ~」とちびまる子ちゃんのごとくぼやいたら、半べそをかいてる私に危険を察知したのか、夫のフォローが入りました。