それを一律に「医学的に問題がないから」と月経期間中の生徒に水泳の授業を強制するのは間違っているし、逆に、月経期間中でも水泳の授業を受けたいという生徒に対し、「月経中だから参加させない」というのも、やはりおかしい。「参加する」「休む」の選択は、「月経があっても水泳することは問題がない」ということを理解した上で、あくまで本人が決めることであるべきだ。
ここまで読んできて、「本人が決める」ということがなぜ性の問題につながるのか、ぴんとこない人がいるかもしれない。実は、「生理中のプール」の話はささいなことに見えて、かなり深い問題なのだ。
「自分の生き方を自分で選択して決めることは人間が生まれながらに持つ基本的人権ですが、これは性に関わる事柄についても同様です」と艮香織(うしとら・かおり)宇都宮大学准教授は指摘する。艮さんは、一般社団法人“人間と性”教育研究協議会幹事を務め、公教育の現場などで性教育の実践に携わる気鋭の研究者だ。
「1999年に世界性科学学会によって採択された『性の権利宣言』には『自律性と身体保全に関する権利』が挙げられています。月経中に水泳の授業を受けるかどうかはもちろん、どのような相手と関係を持つか、子どもを持つか持たないか、避妊をどうするかなどの事柄について、必要な知識とスキル(方法)を得て、性的自己決定能力を高めることは、人間が人間らしく生きていく上で非常に大切なことと言えます」
「性=セックス」だけではない
性と人権が結びつかなかった人は、もしかしたら「性=セックス」と考えていたかもしれない。だが、それはあまりにも狭いとらえ方だ。たとえば、前述の「性の権利宣言」では、「セクシュアリティ(性)は、生涯を通じて人間であることの中心的側面をなし、セックス(生物学的性)、ジェンダー・アイデンティティ(性自認)とジェンダー・ロール(性役割)、性的指向、エロティシズム、喜び、 親密さ、生殖がそこに含まれる」と非常に幅広い概念が謳われている。
「言ってみれば、生まれてから死ぬまでの人間の生き方に関わってくるものが性なんですね」と艮さんは説明する。「まず、人間がオギャーっと生まれたときの最初の質問は『男? 女?』という性別の話から始まります。成長していくにつれて、自分のからだがどう変化していくかというのも性です。このとき、自分のからだと性自認に違和がない場合(シスジェンダー)も、違和がある場合(トランスジェンダー)もあります。また、女性の更年期など高齢期の心身の変化にも性が影響しています。そうした生理的なことだけではなく、『好きな人と仲良くなりたい』といった人との関係性をどうつくっていくかということも性に関わります。関係性のあり方は多様で、その一つにLGB(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル)やアセクシュアル(無性愛者。他者に対して性的欲求や恋愛感情を抱かない人)も含まれます。さらには、就職で仕事を探すときも性は無縁ではないなど、人生における選択はジェンダー(社会的・文化的性)も含めた性の問題だと言えますよね」
世界から取り残された日本の性教育
しかし、日本ではそのような多様で豊かな性について教えられることはほとんどない。小中学校や高校の性教育は、生命の誕生のしくみや思春期における性機能の成熟、性感染症など、生物学的・生理学的な内容にほぼ限定されることが多い。または性感染症や性暴力といった性の問題行動のテーマから、暗に性的な行動を抑制する方向に導こうとする。その際、性的自己決定権のような人権に関わる視点や、ジェンダー(社会的・文化的性別)、多様な家族のあり方などへの目配りまでは行き届いていないのが実情だ。
一方、世界では、ユネスコによる『国際セクシャリティ教育ガイダンス』(2009年)などに見られるように、性は人権と深くかかわるものとしてとらえられており、ジェンダー平等や人間の多様性と相互尊重性を前提とした性教育が行われている。なぜ、日本の性教育はこうした世界の流れから取り残されてしまっているのだろうか。
「ひとつには、新保守主義的な立場の政治家たちによって2000年前後に起こった『性教育バッシング』の影響があります」と艮さんは言う。
「彼らが価値をおく固定的性別役割分業に基づいた伝統的家族観は、『結婚する・しない』『子どもを生む・生まない』などを自分で決める権利(性の自己決定権)や多様な家族やセクシュアリティのあり方と相容れません。これは#MeToo運動に対するバッシングなどにも通じることですが、日本人の性意識の貧しさには、そもそも社会を構成する大人世代が性を人権としてとらえていないという問題が根底にあると思います」
新たな変化の兆し
日本でも、1970年代末から80年代にかけて、「セックス」だけではなく「生き方」の問題として「性」をとらえる動きがあった。その原動力となったのは女性の自立や権利の獲得を目指すフェミニズム運動であり、「性」を「自分らしく生きるための力」としてとらえ、読者に伝え続けたメディアの代表格に女性誌の存在がある。特に20代女性が主な読者層の「MORE」では、性についての特集に積極的に取り組んだ。