そのことを考えるにあたり、テレビドラマ『じゃあ、あんたが作ってみろよ』(原作は谷口菜津子による同名コミック)は、非常に興味深い作品です。「女の幸せは、家で料理を作って愛する人の帰りを待つこと」と考える勝男は、同棲中の鮎美に満を持してプロポーズしますが、「無理」とフラれてしまいます。勝男の亭主関白的キャラクター設定はかなりベタですが、私が大学で接している男子学生たちを見ていると、勝男のようなトキシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)はいかにも「昭和」で恥ずかしく、思いやりがない、そして「モテない」という意識が平均的感覚になっていると感じます。また、女子学生の側も、「女性は男性に献身的に尽くすのが当たり前」という勝男の価値観は「しんどい」、というのが常識となっているようです。
フラれた勝男は料理を自ら作ることで保守的な価値観を問い直し、「恋人ファースト」で生きてきた鮎美も、自分のやりたいことや好きなことを見つめるようになっていきます。こうした展開は、視聴者がそれを受け入れることを前提にしており、そのこと自体は近年の#MeToo運動などフェミニズムの成果として、まずは歓迎すべきでしょう。勝男が獲得していく新しい男性性、すなわち家事能力や、ミソジニー的価値観に縛られずパートナーを思いやれるコミュニケーション能力は、従来の家父長制を突き崩すものになり得ます。ただし一方で、これがポストフェミニズム、ポピュラー・フェミニズムと同様に、新自由主義的な競争原理から生まれたものではないのかという観点から、注意深く見ていくことも必要だと思います。
仕事も容姿もハイスペックな勝男が新しい男性性を身につければ、今の時代、最強の「モテ」を獲得できるでしょう。しかし、もし、こうした新しい男性性が「モテ」のための「スキル」にすぎず、たとえば「モテ」の結果としての結婚後、妻に家事を丸投げしたり、モラハラを始めたりするようになるのであれば、家父長制は崩れません。
また、仕事も家事もできるハイスペックな、いわば「have it all」な男性はごく一握りで、ポピュラー・フェミニズムの時に多くの女性がそうなったように、「自分にはできない」とこぼれ落ちていく男性も多いと思われます。この時、それらの男性にとって、新しい男性性を獲得した男性は男性優位の構造を脅かす者と映り、「女の側に立つ裏切り者」としてミソジニーの対象となるでしょう。新しい男性性が新たな分断を生まないよう、考えていかなければなりません。
ミソジニーを防止するために必要なこと
――分断ということでは、新しい男性性が「常識」となりつつある若い世代と、「昭和」の価値観で育った世代との間のギャップもあるのではないでしょうか。
「昭和」の価値観で育った世代が新しい男性性を受け入れるかどうかは、個人差もあると思います。ただ、今の時代、トキシック・マスキュリニティ的言動をすれば、「それはハラスメントですよ」と言われたりしますから、その世代の振る舞いも以前と比べれば、かなり変わってきている印象を持っています。
「本音の部分が変わっていないのであれば意味がない」という考え方もあるでしょう。しかし、そもそも人間は本音と建前を使い分けながら生きているところがあるわけです。特に、一定の価値観を身につけたある年齢以上の人たちの、「本音は別にあるけれども、体面を守るために建前の部分は変える」という行為自体は否定すべきではないでしょう。まずは「あなたのやっていることはハラスメントですよ」ときちんと指摘し、「普通のコミュニケーションだと思ってやっていたけど、違うのか」と気づいてもらうことが大事ではないかと思います。
それが最初の一歩だとして、そこから先、「今の価値観はこうなのか」と自分の言動を捉え直すか、あるいは「なんでもかんでもハラスメントになっちゃって、何も言えないよ」となるか。この分かれ道でどう前者に進んでいくかがポイントになっていくと思います。まだ答えはないのですが、その前段階として「ミソジニーは良くない」という規範を社会に作っていくことが必要です。
――新しい規範を作るということでは、イギリスで、2026年9月からミソジニー防止教育を導入することが決まりました。背景には、ネットフリックスの話題ドラマ『アドレセンス』の主人公のように、ネットの影響で青少年の間にミソジニーが広がり、言動が過激化している状況への危惧があったと言われています。この防止教育では、インセル文化やポルノとミソジニーの関連等を学び、男子が「良いロールモデル」をみつけられるようにするとのことですが、日本でも同様の試みが必要ではないでしょうか。

ドラマ『アドレセンス』(2025年)より。右はクラスメイトの少女を殺害した容疑に問われた13歳の少年、ジェイミー
イギリスの事例はかなり先進的と言えますが、前提として、こうした教育を可能にする社会が存在しているということが大きいと思います。もちろん、イギリスでも男女平等が完全に達成されているわけではありません。それでも、日本に比べれば女性の社会進出は進んでおり、「女性を差別してはいけない」という意識はずっと強く根付いているでしょう。日本でも、ミソジニー的な行為を見聞きしたらまずはそれをミソジニーだと名指しし、それが構造的差別を生み出しているという認識を広めつつ、ミソジニー的な行為が人として恥ずかしいことなのだという感覚を育てていく努力が必要です。
第二波フェミニズム
18世紀〜20世紀半ばにかけて、女性参政権運動等、公的領域での男女平等を求めた第一波フェミニズムに対し、それらが達成された後、性別役割など私的領域における女性差別の課題を提示、主に1960〜80年代に展開された女性権利運動。