沖縄外交の強力な「助っ人」に
連載第1回でお話を伺ったのは、シンクタンク「新外交イニシアティブ(ND)」事務局長の猿田佐世さん。ワシントン在住の経験を生かして、基地問題をめぐる沖縄の人々の「対米外交」をサポートする。沖縄にとって強力な助っ人だ。私たちがNDの事務所を訪ねたのは2週間にわたる訪米を終えて帰国した翌々日だったが、猿田さんは笑顔で歓迎してくれた。全く疲れを見せないどころか、むしろエネルギッシュに活動内容を説明する姿に圧倒される。一方で、活動を支えるご本人の思いを尋ねると、ふっとやわらかい表情に変わって思いを率直に表現するのが印象的だ。日米の多くの人たちを結ぶために、さまざまな人の思いを、そうやって受け止めてきたのだろう。
猿田さんは1977年東京生まれの愛知県育ち。日米両国の弁護士資格をもち、弁護士として活躍してきたが、2013年8月に「新外交イニシアティブ(ND)」を設立し、事務局長を務めている。NDの目的は、従来の外交に反映されていない声を運ぶ新しい外交のチャンネルを築くこと。発足以来、最も力を入れているのが、基地問題をめぐる沖縄の対外発信への協力だ。ワシントンに3年間暮らして、アメリカの政治の仕組みを学んだ猿田さんは、その人脈とロビイングのノウハウを、沖縄の声をアメリカに届けることに役立てている。
2015年5月末から6月初にかけて、翁長雄志・沖縄県知事が訪米した。このとき、那覇市長、読谷村長、沖縄選出国会議員1人と県議5人、那覇市議5人、沖縄の経済人たちなど、総勢20人以上も同時にアメリカに渡っている。この大型訪米団をコーディネート(企画同行)したのがNDだ。目的は、日本政府が届けてくれない沖縄の声を直接、アメリカ政治の中枢であるワシントンに届けること。
翁長知事と沖縄訪米団については全国紙も取り上げた。翁長知事は共和党の有力議員で上院の軍事委員長を務めるジョン・マケイン氏とも会談したが、全国紙の論調は、「辺野古NO、通じぬ米」(朝日新聞6月6日付)という見出しに見られるように、全体的に否定的だ。国ではなく自治体の代表者にすぎない人々がワシントンに出向いたところで、アメリカ政府が日米合意に基づく辺野古新基地建設をあきらめるわけがないという理由だ。
だが猿田さんは、訪米団も、訪米すれば直ちにアメリカ側が「では辺野古はやめましょう」と言うと考えて訪米したわけではないという。それはそうだろう。その上で猿田さんは、訪米によって沖縄側は二つの成果を得たと語る。
「一つには、オール沖縄の明確な反対の意思を関係者に伝えることができたということです」。前任の仲井真弘多知事が任期の末期にそれまでの反対姿勢を捨てて辺野古沖埋め立てを承認したことで、アメリカの関係者の間では辺野古問題はすでに終わったというムードになっていた。「そうではないと伝えました。沖縄の多くの人が新基地建設に反対しているし、いまや保守から革新までの幅広い支持を受けた新しい県知事がはっきりと反対しているんだと明確に示すことができたと思います」。
沖縄の声がワシントンに届く環境をつくる
もう一つの成果は、「変化を可能にする環境醸成のための第一歩」を踏み出せたことだ。一言で言えば、アメリカの対日外交において政策決定に関わっている、いわゆる「知日派」と呼ばれる少数の人たち以外の政界の有力者たちと関係をつくれたということである。
「ワシントンで対日政策に強い影響力を持つ、いわゆる知日派の数は、私の調査ではせいぜい30人程度。少なく見積もれば5人くらいかもしれません。彼らは今の日米関係をつくってきた人々ですから、そう簡単には考えを変えません。しかし、アメリカの政界を動かす有力者というのは、当然ながらそうした知日派の他にもたくさんいるわけです。さまざまな価値観や関心を持って政策決定に関わっている人々と関係を築き、沖縄の基地問題について理解してもらうことがとても大事なのです」
訪米団はワシントンで2~3チームに分かれて面談に回った。その結果、3日間で15人の下院議員、7人の上院補佐官、23人の下院補佐官、10のシンクタンクと面談を行うことができた。日本の議員が訪米してもアメリカの議員には会えないで帰ることも多い中で、これだけの数の議員と会えたのは「驚異的」だと猿田さんは言う。また、議員本人ではないが、補佐官やシンクタンクとの面談も重要な意味を持つそうだ。
「補佐官というのは、日本で言う議員秘書です。しかし、その位置付けは日本とは異なります。たとえば、上院議員であれば一人の議員が約20人の補佐官を抱えているのですが、その一人ひとりが外交担当、社会保障担当といった具合に政策づくりを専門的に担っています。法案は実質的には彼らが書いているのです。議員に会うより補佐官に会う方が大事とまで言われるほどです」
「シンクタンクも重要です。世界各国の政治家を含む有力者が、講演やさまざまなイベントのためにワシントンのシンクタンクを訪れます。それは重要な人間関係がつくられる場であり、交渉の場ともなります。さらに、シンクタンクの上級研究員たちはアメリカの政権が交代すれば新政権で高官となって政権入りし、自分の考えを政策として実現し、再び政権が交代するとシンクタンクでの研究生活に戻るのです。同じ『研究員』と言っても、日本のそれとは全く別物です」
だが、議員も含め、アメリカの人々は沖縄について何も知らない人がほとんど。訪米団は基本的なことから説明しなくてはならなかった。それでも、問題を理解し、的確なアドバイスをくれる人も多かった。「地域の反対が強いときは別の案を探すなど誠実に対応すべきだ」と訪米団を励ましてくれる補佐官もいた。
辺野古新基地建設に固執する安倍政権や外務省と結びついた少数の知日派をあえて迂回(うかい)して、アメリカの政界に影響力を持つ有力者たちに直接、東京が伝えない沖縄の思いを訴える。これが、ワシントン政治の仕組みを熟知する猿田さんの戦略だ。その視点から見て、今回の訪米は確かに「変化を可能にする環境醸成のための第一歩」となった、と猿田さんは評価する。
だが、日本にも沖縄の基地問題にも無関心な有力者たちに、訴えはどれほど届くのだろうか。猿田さんは、必要なのは相手の関心に引きつけた多様なアプローチだと言う。たとえば環境問題、女性問題、先住民の権利といったことに関心を持つ議員であれば、辺野古新基地建設が環境を破壊すること、米兵犯罪が女性の人権を脅かしていることなどを説く。財政難を憂う保守派には、沖縄に海兵隊を置き続ける費用の無駄を訴える、という具合だ。人権派であれ、環境派であれ、保守派であれ、相手の関心に合わせて沖縄の現実を説く。こうして政策的関心ごとに多様な人々とつながっていけば、いずれはこれまでとは違う幅広い「知日派」人脈を育てることにもつながる。
「ワシントン拡声器」というカラクリ
猿田さんは、沖縄の訴えに共感する雰囲気がワシントンに広がれば、それは東京にも波及すると考える。「日本の政治家はワシントンがかもす空気に敏感です。ワシントンの雰囲気を変えることで、日本の、東京の政治も変わると思っています」。これはまた、日本の保守派政治家や外務省が駆使してきた方法を「逆手に取る」ことでもある。東京発の意見をワシントンの知日派に訴え、知日派がこれを自らの声として発することで、アメリカ発の意見として大きく日本にかえってくる。このような仕組みを、猿田さんは「ワシントン拡声器」と呼ぶ。
先に触れたように、ワシントンのシンクタンクはアメリカの政治にとって非常に大きな存在だが、日本の政府や企業はそのシンクタンクに多額の寄付を行い、多くの客員研究員を送り込んでいる。内閣官房、公安調査庁、防衛省、警察庁、そして経団連。こうしたチャンネルを通じて、日本についての一部の見方や情報が、5人から30人程度の知日派に伝えられる。すると知日派は、偏った見方を日本の客観的な状況を伝えるものとして理解し、そのうちに日本のごく一部の人たちの利益を代弁するようになる。さらに知日派の発言は、「アメリカの意向」として日本のメディアで報道されるという仕組みだ。日本政府はまた、多大な資金を投じてロビイストを雇ってもいる。