国会前で「戦争のリアリティ」を叫ぶ
9月19日未明、国論を二分した安保法案が自民党、公明党などによって可決した。安保法案に反対する学生グループ「SEALDs」は、国会の外で夜明けまで「反対」の声を上げ続けた。1カ月前の8月7日夜、その「SEALDs」主催の国会前抗議行動の真ん中で、大柄でがっしりした中年男性がマイクをもって叫んでいた。「安保法案は、自衛隊員は死んだっていいという『自衛官虫けら同然法案』だ」「どうしても戦争がしたいのなら、法案に賛成する国会議員は予備自衛官補に登録して訓練を受けるべきだ。この法案が通れば、俺は予備自衛官として召集されるかもしれない。戦地に回されるかもしれないんだよ!」。
男性は井筒高雄さん。1969年、東京生まれ。88年に自衛隊に入隊し、実戦さながらの過酷な訓練に合格しなければ得られないレンジャー隊員の資格ももっていたが、92年にPKO協力法が可決成立して自衛隊が海外に出ていくことになったとき、「納得がいかない」と三等陸曹で退職。その後、大学に入学・卒業し、地方議会で議員を2期務めた。そして昨年の集団的自衛権行使容認の閣議決定以降、自衛隊の現場を知る立場から集団的自衛権行使容認反対、安保法案反対の声を上げ続けた。
8月7日、彼は国会前でこうも叫んでいた。
「安倍首相は、国会議員は、勉強しろよ! 戦争のリアリティを!」
戦争のリアリティ。それこそまさにこの連載を通じて知りたかったことだ。私たちは井筒さんに会いに行くことにした。
待ち合わせ場所に現れた彼は、こわもてながら穏やかな印象を与える人だった。私は真っ先に「もしかして新聞記者のKさんをご存じですか」と尋ねた。すると「ええ、知っています。阪神・淡路大震災のとき、神戸でお会いしました」とのお答え。やっぱりそうだったか。
実は、1995年の阪神・淡路大震災のころ、私は神戸を取材した新聞記者のKさんという人から「神戸の被災地で、先頭に立ってボランティアで頑張っている元レンジャー隊員の若者に会った」と聞いたことがあったのだ。もしかしてとは思ったが、それが若き日の井筒さんだったというわけだ。
Kさんは併せてこうも言っていた。
「でもそいつ、悩んでたよ。ボランティアの受け皿になっている市民団体の人たちに、元自衛隊員だと言うと微妙な顔をされるって。『俺は自衛隊員だったことを誇りに思っています。これは間違っているんでしょうか』と聞かれた。俺は言ってやったよ。お前は間違ってない。自衛官であったことに誇りをもっていいってね」
井筒さんにその話を伝えると、いかつい顔を崩して「Kさん、ちょっと話を盛ってるなあ」と照れくさそうに笑った。
自衛隊員は無条件に命を投げ出すべきか
さて、筆者には井筒さんに真っ先に聞きたいテーマがあった。自衛官の「服務の宣誓」についてである。自民党(後に離党)の武藤貴也衆院議員がSEALDsのことを「戦争に行きたくないという極端な利己主義だ」と非難して問題になったことは、読者のみなさんもご記憶だろう。その後、雑誌のインタビューで彼はこんなことも言っている。「自衛の際でも戦地に行くのは(徴兵された―筆者注)『庶民』ではなく『服務の宣誓』をした『自衛隊』(ママ)です。だからこそ自衛隊には最高の名誉が与えられるべきだと思います」(東洋経済オンライン8月7日付)。
「服務の宣誓」とは、全ての自衛官が入隊に当たって署名捺印を求められる誓約のことだ。要するにイザというときは職務に命をかけることを誓う内容である。それにしても、武藤議員はなぜここでその「宣誓」を出したのだろうか。この発言、何かがひっかかる。
その違和感を井筒さんにぶつけると、彼は即座にこう答えた。
「自衛隊が創設されてから61年間、服務の宣誓の前提は憲法9条と専守防衛だったのです。集団的自衛権行使を容認し、安保法案によって海外での武力行使に道を開くのであれば、宣誓のやり直しをすべきだと思っています」
井筒さんが見せてくれた「服務の宣誓」全文は以下の通りだ。
【宣誓 私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います】
「これは、自衛隊法施行規則に定められた文言です。『我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し』とは、要するに憲法が認める専守防衛に限って命を投げ出しますよという契約を意味しています。米軍の戦争の手伝いをしに海外に行くという内容は含まれていない」
ところが、昨年(2014年)7月の閣議決定によって、日本の防衛だけでなく、アメリカなど日本と密接な関係をもった他国の防衛のために武力を行使することも合憲だとする解釈が定められた。そしてこれに基づく安保法制には、自衛隊法の改正も組み込まれた。同法第3条「自衛隊の任務」の「直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし」という下りから「直接侵略及び間接侵略に対し」が削除されたのだ。
「直接侵略」とは日本本土への外国軍の侵攻であり、「間接侵略」とは外国の支援を受けたゲリラなどによる国内での攻撃を指す。これらの文言を削除することで、日本が侵略されていなくても武力を行使できるようにしたとも解釈できるのが今回の改正だ。
「『法令を遵守し』の法令が根本的に変わった。会社なら、これだけ就業規則が書き変わるのであれば労働契約をやり直すことになると思います。自衛隊も、隊員一人ひとりと再契約すべきなのですよ」
実際に国会で、「服務の宣誓」をやり直すべきではないかという質問が野党から出されたが、安倍首相の答弁は「その必要なし」であった。「『冗談じゃないよ』というのが、現場の自衛官の思いでしょう」と井筒さんは言う。
自衛隊員はおもちゃの兵隊ではなく、人間だ。入隊時の宣誓も、何でもします、無条件に命を投げ出しますという誓いではなく、あくまで日本の領土・領海・領空の防衛に命をかけますというものだった。政府の政策転換によってそれ以外の危険な任務も背負せるというのであれば、それなりの筋道を通すべきなのではないか。「宣誓」の問題で問われているのは、そのことだ。
「冗談じゃない。これじゃ犬死にだ」
実は、そもそも井筒さんが1993年に自衛隊を退職したのも、「宣誓」と関係している。前年にPKO協力法が成立し、自衛隊のPKOとしての海外派遣が可能になり、すぐにカンボジアへの派遣が始まった。井筒さんはこれに怒りと疑問を覚えた。専守防衛を前提とした「宣誓」に反するのではないか――。このとき井筒さんは23歳。伝統を誇る第31普通科連隊(埼玉・朝霞駐屯地)に所属し、三等陸曹として部下を率いる地位にあった。過酷な訓練に合格してレンジャー資格を取り、幹部自衛官への道も開けようとしていた。だが、「宣誓」に反する上、まるで法律の帳尻合わせのようなPKO協力法の内容を知るにつけ、「これでは犬死にだ。理不尽すぎる」と怒りを覚え、退職を決意したのだった。「停戦合意があるから、PKO5原則があるから大丈夫なんて言うけれど、いくら日本の理屈で自衛隊は軍隊じゃありませんと言ったって、戦闘服を着て小銃をもって行けば相手から見れば戦闘をしに来たと思うわけです。それに武装勢力の上層部が停戦を受け入れていても末端もそうとは限らない。当然、攻撃される可能性がある。ところが政府は、相手が発砲してくるまでは撃つなと言う。そんなことをしていたら戦場では死に直結します。かといって命令に反して身を守るために先に発砲すれば、最悪の場合、殺人罪で裁かれる。冗談じゃない。これじゃ犬死にです」
生涯を自衛隊員として生きようと思っていた井筒さんは、政府のやり方に納得がいかずに退職した。「政府のやり方はあのときから何も変わっていない。ここまで放置した国民にも、マスコミにも応分の責任がありますよ」。
安保法案も、本質的にはあのときと変わらないと井筒さんは言う。リスクを背負う自衛隊員に対するフォローが全くないというのだ。
「自衛隊員のリスクは、集団的自衛権の行使によって間違いなく増加します。
自衛隊の「服務の宣誓」
「宣誓 私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もつて国民の負託にこたえることを誓います」