ヘタレにも「反戦」は可能か
交通事故の後遺症を抱えてもう14年になるが、いまだに思うように体が動かない。ちょっと無理をすると、瞬く間にバランスを崩して寝込んでしまう。2015年の8月にも一度、無理を承知で安保法制に反対する国会前のデモに参加したが、それだけでやはり寝込んだ。おのずと、社会生活を維持するために、できる範囲の限られた動きだけをするようになる。基本は職場と自宅の往復。人付き合いも最低限。体を張らない。まったくもって、ヘタレである。
そんなヘタレの私が「戦争と平和」などという大きなテーマについて、いったい何を語れるだろう。しかも隣国の軍事力を意識せざるをえない、この国際情勢。何を言っても裏目に出そうで、口をつぐみたくもなる。
けれども、どこか危機感を煽られているようなこの状況に、疑問や違和感を覚えている人もいるかもしれない。かといって、目の前の生活でせいいっぱいで、体を張って何かできるわけでもなく、何をしても意味がないように感じる。そうした人たちを念頭に、思い切って、次のような問いを立ててみよう。
はたして、私のような体を張れないヘタレにも、反戦は可能だろうか。
何ができるかを探っていくために、まずは、暴力/非暴力、戦争/平和というカテゴリーそのものを問い直してみたい。「暴力はいけない」「平和はすばらしい」という、この常識的ともいえる感覚について、少しだけ掘り下げて考えてみる。この感覚は何によって支えられ、何をもたらしているのだろうか。
暴力論のすぐれた入門書である酒井隆史『暴力の哲学』(河出文庫)は、この点に焦点を当て、「暴力はいけない」という漠然とした一般論で物事をかたづけることに警鐘を鳴らしている。例えば、「暴力はいけない」といって、凶悪犯罪に対して強硬な姿勢をとった先には、死刑の執行という国家による暴力行使を是認する感覚が生まれやすい。そうかと思えば、テロリズムを批判する非暴力の主張が、テロに打ち勝つという名目での戦争を正当化したりもする。「暴力はいけない」という一般論は、まさにその非暴力・平和の主張によって、暴力・戦争が正当化され、拡大し蔓延するという事態に対して、無自覚・無感覚になる危険性をはらんでいる、と酒井は指摘する。
マックス・ウェーバーは『職業としての政治』(岩波文庫)のなかで、近代国家の特徴は「支配手段としての正当な物理的暴力行使」を独占し、それ以外の団体・個人に対しては国家が許容した範囲内でしか暴力行使の権利を認めないところにある、と指摘している。軍隊・警察・監獄などの諸装置を思い浮かべれば、このことは了解されるだろう。
たしかに、現代の私たちは、改めて言われなければそれについて考えもしないほど、国家による暴力の独占を自明のものとして生活し、そのうえでただ漠然と「暴力はいけない」「あるべきでない」と思っている。よほど意識しない限り、国家の暴力は、この「いけない」「あるべきでない」という対象から何となく除外される。
「暴力はいけない」と思いながら、一方で別の暴力を自明としているという、ある種のダブルスタンダードな感覚は、一人ひとりが自覚的に身につけたものというよりも、こうした近代国家の制度によって構造的につくりだされた側面が大きい。
ただその一方で、「暴力はいけない」「あるべきでない」という漠然とした感覚が、ふとした拍子に、国家の暴力に対してもふっと向けられ、その暴力もまた「あるべきでない」のではないかと多くの人が感じる瞬間があるように思う。例えば、安保法制のように戦闘行為が現実化しうる法制度の改正が行われて、日頃は意識していなかった国家の暴力が急速に可視化されたときなどに。
見えない「国家の暴力」を見つめること
このように考えると、戦争に反対することとは、いつもそこにあるのに見ないようにしている国家の暴力に対して、意識的・自覚的になり、その抑制を訴えることだといえるだろう。非暴力・平和は「良いこと」、暴力・戦争は「悪いこと」というだけですませるのではなく、日頃意識しないですんでいる暴力があること、非暴力・平和と暴力・戦争とが複雑な関係を結んでいること。そうしたことに敏感になることが、まずは大事となってきそうだ。
例えば、私が寝込む覚悟で参加したあの国会前のデモ。あそこでは、国家の暴力を非暴力で抑制することの困難さがとても象徴的に現われていたように思う。しばしば指摘されるように、国会前の一連のデモでは、警官がたえず人の流れを規制・誘導していて、私もそれに従った。石一つ投げない、秩序立った非暴力のデモンストレーション。
デモの主要な論点の一つは、集団的自衛権を認める法案が通ることによって、日本の自衛隊が戦闘行為を行うことになりかねないことであった(法案の中身ではなく、手続き論に限定して反対する立場ももちろんあったが)。だからこそ、安保関連法案は「戦争法案」と通称され、「戦争したくなくてふるえる」というキャッチフレーズが力をもった。当然のことながら、戦争は被害と加害の両方をともなう。だから、「戦争法案」に反対することは、甚大になりうる他国への加害に、自らが加担することへの反対でもあったはずだ。その局面においてすら、いまこの場で私は石一つ投げない。法案が通ったら、もっとひどい加害に加担することになるかもしれなくても、である。
もちろん非暴力であることは運動上の重要な戦略であり、私自身も非暴力のモラルを強固に内面化している。だから私が言いたいのは、運動が暴力的であるべきだということでは決してない。そうではなくて、私にとって「戦争法案」に反対するデモの場というのは、日常では直視せずにすんでいる、正当化された国家の暴力とそれに自らが加担する可能性、そして国家の暴力を非暴力で抑制することの困難さなどを実感した場であったということである。良いか悪いかの問題ではなく、現実問題として、そうした制度のなかを私たちは生きている。
内外の暴力にさらされる「沖縄」
少し視点を広げてみよう。こうしたことを日常的に感じる機会が少ないのは、私が生まれ育ち、生活している環境によるところが大きい。米軍基地が集中する沖縄では、国家の暴力が避けがたく現前しているし、辺野古・高江などで非暴力の運動がいまも続けられている。新城郁夫(琉球大学法文学部教授、沖縄文学・日本文学)と鹿野政直(早稲田大学名誉教授、歴史学)の共著『対談 沖縄を生きるということ』(岩波書店)を読むと、暴力/非暴力、戦争/平和をめぐって、「本土」にいると見ないですんでいることがあることに、改めて気づかされる。
沖縄戦の際、沖縄は日本政府によって「捨て石」として位置づけられ、続いて占領したアメリカ軍によってアジア戦線の「要石」と位置づけられたと、鹿野政直は指摘する。こうした「捨て石+要石」という沖縄の位置づけは、その後、沖縄を切り離しての日本の独立や、米軍基地の使用を維持・強化する形での沖縄の返還においても一貫して継続され、日米安保体制のもと全国の米軍専用施設面積の約7割が沖縄に集中する現在の状態に至っている(具体的な過程は、新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』岩波新書などに詳しい)。
新城郁夫は、この「捨て石+要石」という二重性について、米軍基地があることで「自分たちも非常に国家の暴力に苦しんでいる」一方で、「ベトナム戦争の例をもちだすまでもなく、この傷は同時に外に向けて相手を傷つける武器たり得ている」と指摘している。これを受けて鹿野も、沖縄は、基地が集中していることにより、「自分たちが一番攻撃されやすい場所にいるという事実」と、「自分たちが生きている場所が一番加害性を帯びてもいるということ」、この二つを強烈に意識せざるをえない位置にあり、それが「本土」とはまったく異なる点なのだと応じている。
沖縄米軍基地は、沖縄への被害をもたらしているだけでなく、沖縄から飛び立つ戦闘機による他国への加害をもたらしてもいる。こうした二人のやりとりを読むと、戦争/平和に対する感覚が問いただされていく。戦後この国は本当に「平和」だったのだろうか。日本が「平和」でよかったと感じられるのは、「平和憲法」のおかげだけでなく、それと同時に存在する日米安保体制のもとで内外への暴力に直面してきた沖縄を、認識の上で切り離して考え、見ないようにしているからではないだろうか。求められているのは、沖縄の基地問題が沖縄の人たちだけの問題だと考えるのではなく、本土で生活をし「平和」を享受している私自身が、本当は当事者そのものであることに気づき直すことだ。
東アジアの中の日本の「平和主義」
さらに視点を広げてみよう。平和/戦争、暴力/非暴力の複雑なからみあいは、国民国家の枠内にとどまらない。東アジアレベルでも同様の構図が見てとれる。