「SEALDsの国会前行動では、時間の半分を一人ひとりのスピーチに充てています。みんなで同じことを叫ぶスタイルへの違和感があって。でも一方で、日常の世界でも、みんな周りに合わせて同じことを言ってたりするじゃないですか。きちんと言いたいことを言うデモっていう文化は、健全だと思う」
「あと、新しい世代!ということを強調されるのも違和感がある。ぼくにも、これまで運動や学問を通じて民主主義を育ててきた先人たちに対する敬意があります。丸山真男とか、大江健三郎さんの本もよく読みますし。違うやり方で、そうした歴史を受け継いでいるんだと思ってます」
「終わった」時代に生まれて
奥田さんに聞きたかったのはもう一つ、彼がスピーチでしばしば口にする「始める」という言葉。そこには、どんな思いが込められているのだろう。そう尋ねると、彼は、「3.11」のときに感じたことから話し始めた。2011年3月11日14時46分。そのとき、奥田さんは島根県にある全寮制の高校にいた。卒業式を翌日に控えていた。テレビも、ケータイも、PCもない寮生活。「どうも東北で地震があったらしい」ということしか分からなかった。
卒業式を終えると、テレビや新聞、インターネットで情報を収集し始めた。知れば知るほど、事態の深刻さが見えてきた。ある番組では、「大丈夫です」と強調する専門家が出演しているさなかに、ライブ映像が福島第一原発1号機の爆発を映した。すると専門家は「煙が出ているようですねえ」とこともなげに言ったのである。奥田さんは思った。「日本、終わってる…」。
震災から2週間後、いてもたってもいられない思いで、東北の被災地へ飛んだ。それから1年間、大学に通うかたわら現地に通い、ボランティアを続けた。津波によってさら地になってしまった町の光景に絶句し、生きるため、地域を再生するために全力を尽くす人々に会ううちに、奥田さんの中で何かが変わっていった。
「被災地にいると、ポジティブにしか考えられなくなるんです。もうだめだ、とか言ってる余裕がないから」
これは、奥田さんにとって大きな変化だった。
奥田さんは、自分は「終わっている」「終わっていく」時代を生きてきた、と言う。
「バブルがはじけた92年に生まれました。成長する中で耳に入るのは、『終わった』『終わっていく』という話ばかり。年金制度も破たんするとか、右傾化が進んで戦後民主主義もオシマイだ、とか。9.11で世界的にもテロと戦争の時代になった…そんな話をずっと聞いて育ったんです」
破局に向かう世界、あるいは破局後の理不尽な世界でサバイバルする若者たち。3.11までの奥田さんは、そんな小説や映画に心を惹かれていた。『バトル・ロワイアル』に『エヴァンゲリオン』『完全自殺マニュアル』。世界は理不尽で、破局に向かっている。自分だけがそれに気づいている……そんな主人公に感情移入していた。
「だけど、3.11の後、そういうものを読む気にならなくなった。それどころか、小説とか映画そのものが、1年間くらい受けつけなくなった」
日本社会ってダメだよね、終わってるよね、などと言い合いながら、どこか悲観と戯れて楽しむような余裕は、もうなくなった。「だって、ほんとに終わっちゃったんですから。『終わってる』なんて口にするのもバカみたいな話で」。
声を上げる世界の若者たちと出会う
翌12年、彼は1年間休学し、今度はカナダ、ドイツ、イギリスを数カ月かけて回る旅に出る。旅費はバイトでかせぎ、食事はマクドナルドですませた。この旅にも、奥田さんを変える多くの出会いがあった。語学学校で、通いつめたクラブで、世界中の同世代と出会い、語り合った。モントリオールの語学学校では、「アサドは民主化を妨げるとんでもない奴だ」というシリア人の若者に、アサド大統領を支持する同じシリア人の若者が食ってかかるのを見た。トルコ人の友人は、帰国後に彼が参加する民主化運動の映像を送ってくれた。前年末から始まったアラブの春や11年9月のオキュパイ・ウォールストリートと呼ばれるニューヨークの運動の余韻が、世界的に続く時期だった。
モントリオールの通りを埋め尽くす10万人の学費値上げ反対の学生デモにも遭遇した。ベルリンでは、空港ロビーで整然と行われるデモを見た。
カナダでもドイツでも、政治に抗議の声を上げる人々は、英語で、あるいはドイツ語で、口々に叫んでいた。それは11年にニューヨークの路上で生まれたスローガンだった。
「Tell me what democracy looks like!(民主主義ってどんなものか教えて!)」
「This is what democracy looks like!(民主主義ってこういうものさ!)」
奥田さんは、街頭で堂々と主張する彼らの姿にただただ圧倒された。
終わっているなら始めるしかねえんだよ!
13年夏に帰国すると、特定秘密保護法案が大問題となっていた。奥田さんも、国会前の抗議行動に通い始めた。路上で声を上げる人々の中には、彼と同じ学生らしき姿もちらほらと見えた。だが、問題点を何も解決しないままで、秘密保護法は12月6日に可決される。
「法案が可決されたときも国会前で抗議の声を上げていました。こんなめちゃくちゃな法案が、こんなめちゃくちゃなやり方で通ってしまうのかという怒りで一杯でした。そのとき、スマホで見ていたツイッターに、『報道ステーション』で古舘伊知郎さんが言ったコメントが流れてきたんです。『今日、日本の民主主義が終わりました』って。すごく頭に来ました。はあ? なに勝手に終わらせてんだよ。俺たち今、国会前で叫んでんだよ。終わらせねえよ。いや、終わってるんなら、始めるしかねえんだよ!って」
古舘氏は警鐘を鳴らす思いで語ったのだろうが、奥田さんには他人ごとの発言に聞こえた。民主主義が終わっているなら、ここから始めるしかないじゃないか。
被災地で受けとった現実。世界中の友人たちから学んだ、主張することの大事さ。それらが、奥田さんの背中を押したのかもしれない。奥田さんは、一緒に国会前にいた友人たちとともに、その日、居酒屋で朝まで議論した。思いは最初から一致していた。ここで終わらせない。ここから始めて秘密保護法の施行日まで反対を訴えよう――。
奥田さんはこのとき、「デモをやろう」と提案した。他の学生たちには、これは不評だった。デモなんて効果ある? デモなんてダサいじゃん。奥田さんは彼らを説得する。ぼくらの怒りを見えるように表現しなきゃだめだ。だったら「ダサくないデモ」をやろうよ。
14年2月1日、奥田さんと仲間たちが生まれて初めて主催するデモが行われた。集まったのは500人。コールには、奥田さんがカナダやベルリンで耳にしてきた、あの言葉も採用した。「民主主義って何だ!」「何だ!」。奥田さんと仲間たちは、こうして「始めた」のだ。
戦後70年目の8月、安保法案をめぐる国会の攻防は、国論を二分して今も続いている。SEALDsの若者たちの行動も、国会前で続けられている。衆院での採決強行を経て、むしろその勢いは拡大している。8月30日には、12万人(主催者発表)が国会前に集まり、安保法案反対の声を上げた。
もちろん、言うまでもなく、安保法案の是非は、SEALDsの若者たちだけが考え、行動すればすむ問題ではない。その行方が多くの人々の命に関わる以上、私たち一人ひとりがどう向き合うのかが問われている。私たちは何を選択するのか。どのように行動するのか。その行方は、私たち「一人ひとり」にかかっている。それがこの国の民主主義のはずだ。それはもう「始まっている」。