20世紀初頭のドイツ人は愚かだったから、簡単にナチスの差別扇動にのせられてしまったのか。決してそんなことはなく、おそらくメンタリティーは今を生きる人たちとそう変わらないはずだ。今日さんも「普通の人間が、普通に人を殺すようになること」に、何よりも恐怖を感じたという。
「アンネもヒトラーも、もとは人間同士です。でも片方は聖少女、もう片方は極悪人になってしまった。そんな2人の間にできた溝を埋めて、ただの人間であるというまっさらな状態に戻したいという気持ちから、2人のエピソードが生まれました」
極悪人も聖少女も、元をたどれば同じ人間。そもそも聖少女なんてものも、はじめから存在しない。そんな視点は2015年に発表した、長崎が舞台の『ぱらいそ』(秋田書店、2015年)にも大いに反映されている。
「長崎って日本なのにどこか日本ではないというか、『どこでもない場所』みたいな感じがして、それがとても魅力的で。どこでもない場所なら、どこでもない時代を描くのにピッタリじゃないかなと思ったので、現代風の住宅に住む、洋服姿の女の子の世界に原爆が落ちる話にしました」
主人公のユーカリと、双子の兄妹のセージとミルラ、そして朝鮮半島から来たパク・セリ。4人はアトリエ「ぱらいそ」で、シスターアンゼリカから絵を習う天使たちだ。しかしユーカリには盗癖があり、セージは出征先で人を殺す。ミルラはうそをついていて、セリはタバコに火事場泥棒とやりたい放題。「天使たち」のはずなのに、全員が罪を抱えている。ユーカリは「罪をおかしても、死んだら天国に行けるのか」とシスターアンゼリカに問い続けるが、盗むことをやめられない。そしてミルラが持っている白い絵の具を盗み、以来こだわるようになる。
「戦争で亡くなるとどんな人でも、『純真無垢で、何も罪のない一般市民』のように語られてしまいがちですよね。もちろん、それもあるかもしれない。でも誰もが普通の人であるがゆえに罪を抱えているはずなので、そこも描かないと逆に、亡くなった方々に失礼なのではないかとずっと思っていました。ユーカリが白い絵の具にこだわるのは、自分が白くないことをわかっていて、白に憧れているからなんです」
4人のうちセリだけが半島から日本に来ていて、両親はスパイ容疑で収容所に送られている。そして彼女は、出征前の男子学生たちに体を売っている。物語とはいえ、半島出身の少女が日本人相手に体を売る描写を、見たくなかった読み手は決して少なくないだろう(私もその1人だ)。なぜよりにもよって、セリに体を売らせたのか。
「長崎の原爆資料館には、徴用されて連れてこられた朝鮮人の記録もあったんです。そのなかに手記があって、『ある部屋に行くと全員が朝鮮から来た仲間で、朝鮮語で助けを求めていた』と書かれていたのですが、それも絶対に忘れてはいけないことだなと。外国人も戦争の被害者であったという事実について、絶対に触れたくて。だから日本人ではない少女を入れたかったんです。でも悲惨な目に遭った植民地の少女としてではなく、強くて美しい存在として登場させたかった。セリは一番罪なことをしていますが、その分、生きようとする気力も一番強い。『ぱらいそ』のなかでは一番人気があるキャラクターなので、彼女を主人公にするべきだったかなと感じています」
2015年3月、今日さんがカバーイラストを手掛けたCDが発売された。タイトルは『日本の軍歌アーカイブス』(辻田真佐憲監修/ビクターエンタテインメント)。『海ゆかば』や『同期の桜』をはじめとする軍歌や、戦時中に流行していた『日の丸行進曲』といった、少女歌謡などが収録されている。発売後は「なぜ『cocoon』の今日マチ子が、軍歌のイラストを描くのか」と批判の声もあがったそうだ。
「私は『軍歌は戦争の歌だからダメ』で遠ざけて終わりにするのではなく、その当時の軍歌を改めて聴いて、『ただの歌でしかない』ことに気付く作業が必要だと思っているんです。そうすることで、結果として戦争の方を遠ざけることができる気がしていて」
あるものを崇めて大事にする一方で、別のものをさげすんでゴミのように扱う。そんな心持ちが過ぎると神格化が始まり、同時に排斥感情も生まれてくる。しかし誰かや何かへのおそれを疑い、嫌悪も疑うことができれば――。もし約1世紀前のドイツに生きる人たちがヒトラーを「ただの人でしかない」と思えていたら、アンネが聖少女になることもなかっただろうし、そもそも、ホロコーストも起きなかったのかもしれない。今日さんは戦火に生きる少女たちや軍歌の世界を描くことで、そんな声をあげているように感じられた。
『cocoon』が発表された2年後に東日本大震災が起き、以降社会の空気は日を追うごとに、とげとげしさをはらんできている(と、少なくとも私は感じている)。今日さんも「戦争は過去のことではなく、未来に起こりうることになった」と感じたことで、自身の作品においても、描き方が変わっていくだろうと語った。
「マンガには人を笑わせたり癒したりする力があると思うので、戦争が遠い過去のものでなくなってしまったら、読む人は現実と続いているリアルな物語は欲しないのではないかと思うんです。だったら読んでいる時だけでも癒しや楽しさが得られる、ファンタジー要素に満ちたものを描いていきたい。なぜなら現実とは違う世界に読み手をいざなえるのも、マンガの役割だと思うから。史実に基づいた生々しい話ではなく、より女性の物語としての戦争を伝えていきたいなって」