『アンネの日記』(1947年、オランダで初版発行)を書いたアンネ・フランクは、1929年に裕福な家に生まれた。しかしユダヤ人であるがゆえにナチス・ドイツからの迫害を恐れ、オランダのアムステルダムに一家で移住する。42年に隠れ家での生活を始め、44年8月に強制収容所に送られたのちチフスにかかり、翌年15歳で短い人生を終える。日記は隠れ家生活をしていた13歳から15歳の間に書かれたもので、現在は70カ国語に翻訳されている。
「どんな逆境にも耐えぬき、生きる希望を見失わなかった明るく強い少女」
アンネを語る際に、よく言われるのがこんなフレーズではないだろうか。ビリビリに破いた犯人も、もしかしたらアンネの健気さがまぶしすぎたのかもしれない。しかし、日記のすべてに目を通せば「確かにそんな一面もあるけれど……」と、決してそれだけではないことに気付けたはずだ。
なぜならアンネは友人の無事を神に祈り、支援者への感謝を忘れない一方で、隠れ家の同居人たちを「愚鈍」とののしり、母親を「見習いたくないお手本」とばっさり斬る。父親が自分を特別扱いしないことに腹を立て、男友達との恋愛妄想にふける。性に興味を持ち、同居人のペーターとキスするものの、あっさり見切りをつける。そして人前ではことさら滑稽で軽薄に振る舞っていて、「良いほうの自分は、自分しか知らない」と考えている。現代の言葉で表現するなら「リアル中二病」の姿を、まるごとさらけだしているからだ。
健気な少女だけど、今の時代にいてもおかしくない、普通の感性を持った少女。なのに「日記の一部を読んだ世界中の人が、アンネを聖少女に作り上げてしまった」ことに違和感を抱き、彼女をモチーフにしたマンガを描くことで、「戦時下では無視されてきた、『少女たちの普通の姿』に光を当てたかった」と語るマンガ家がいる。それが、今日マチ子さんだ。
2004年から漫画ブログ「今日マチ子のセンネン画報」を描き始めた今日さんは、05年にほぼ日マンガ大賞に入賞し、09年にはじめて戦争をテーマにした『cocoon』(秋田書店、2010年)を発表している。この作品は沖縄戦で傷病兵の看護にあたり、多くが日本軍兵士とともに命を落とした、師範学校と高等学校の女子生徒による「ひめゆり学徒隊」から想を得て描かれている。
彼女たちはウジや血にまみれながら、日夜兵士の看護に明け暮れる。自身も死と隣り合わせにある、まさに極限状態の日々。それでもヘアスタイルを気にしたり、戦争に勝ったらデートに着ていく服を想像して、仲間同士で盛り上がったりする。
「アンネと同様、悲劇の少女として語られがちなひめゆり学徒隊にも、楽しい瞬間があったはず。笑っている姿まで描かなければ、ほんの一部しか伝えられないのでは」。そんな今日さんの声が、ページの間から聞こえてくるような作品だ。戦火に生きる庶民の姿は、とかくつらく悲しくたくましく描かれがちなのに、どこか力が抜けている少女たちを描いたのはなぜだろう? そう問いかけると、今日さんはゆっくりと語りだした。
「私自身は戦争に興味があったわけではなく、むしろ普通の日常をマンガで描きたいと思っていたので、戦争ものなんてありえないジャンルでした。『cocoon』は2008年に秋田書店の編集者から執筆を持ちかけられたのですが、初対面でいきなり『ひめゆりをテーマにした漫画を描いて欲しい』と言われ、『私の作品を読んでいないの?』という疑念が湧いてしまったほどで(苦笑)。でも彼女は沖縄出身で、沖縄戦のことを県外の人がよく知らないことに問題意識を持っていたのと、『今日マチ子らしい視点で、少女をテーマにした新たな戦争作品を描いて欲しい』と言ってくださったことで、描こうと決めました。これはあまり語られてこなかったことですが、戦争中でも人を笑わせたいとか絵を描きたいとか、そういう気持ちは女の子なら絶対あったと思うんです。暇な時に歌を歌ったり冗談を言ったりとか、きついなかにも明るい営みがあったはずなので、その部分を描きたくて」
いざ引き受けてはみたものの、今日さんは沖縄取材で目にした糸数アブチラガマの生々しさに圧倒され「とんでもないことを引き受けてしまった」と、腰が引けてしまったそうだ。沖縄本島南部にある糸数アブチラガマは、ひめゆり学徒隊が配属されていた全長270メートルのガマ(自然洞窟)で、600人以上の負傷者を収容する病院としての機能を果たしていた。ところが、敗戦が色濃くなると負傷兵の多くが置き去りにされ、ここで息絶えた。今日さんは「ここで高校の同級生が全員死んでしまって、私だけが生き残ったのだ」という感覚を味わい、それを描くことにしたそうだ。
物語は主人公のサンと、サンの親友のマユを中心に進むが、空襲や栄養失調、自決などにより仲間は次々に命を落としていく。胴体が切断され、内臓がはみ出たまま野に転がる、集団自決した少女たち。彼女たちは「鬼畜に純潔を奪われるぐらいなら死ぬわ」と、まるで放課後のおしゃべりに興じるような軽やかさで、手りゅう弾のピンを引き抜く。
「もちろん『お国のために』という気持ちもあったかもしれないけれど、10代の女子ならではの視野の狭さとか、『○○ちゃんが言うのだから間違いない』みたいにフワッと誰かに引っ張られる感じが、戦争にうまく利用されてしまったのではないかと思うんです。私ももしその場にいて、5、6人のグループのうち4人ぐらいが『自決する』みたいに言い始めたら、『じゃあ私も』と言うだろうなと。誰かが『自決なんてよくないよ』と言えばとどまったのかもしれないけれど、おそらく同調したのではないかと思ったんです」
今日さんは2014年に第18回手塚治虫文化賞新生賞を受賞している。この時の受賞作のひとつ『アノネ、』は、『アンネの日記』をモチーフにしている。『cocoon』の執筆中にオランダに旅行し、アンネ・ハウスを訪ねた際に「アンネは世界一有名な悲劇の少女だけど、彼女はそう思われることを、果たして良しとしているのだろうか?」と疑問が湧いたことが、モチベーションになったと語った。
那照国(ネーデルランド)に住む東方系民族の少女・花子は、クラスの人気者。しかし東方系を滅ぼそうとする新制帝国からの迫害を恐れ、両親や姉の真子たちとともに隠れ家での生活を始める。花子はその日々を「私が死んでも、この日記だけは自由に生き続ける」と信じ、父にプレゼントされた日記帳につづる。
収容所に連行された花子は何体もの亡きがらを目にしても、粗末な衣類と食事しか与えられなくても、明るさを絶やすことがない。なぜなら彼女は、自分が主人公だと思っているから。しかしその姿は真子に「わざとやってるの?」と言われるほどの、不自然さにあふれている。
「花子はちょっと虚言癖がある感じなのですが、私の作品には花子に限らず、空想の世界に生きる少女がよく登場します。なぜなら中高生時代のクラスの中に、うそをつく子が必ず1人はいたから。他の子はその子を『うそつき』と罵っていたけれど、私は『自分なりのルールに従って動いているのだから、本人にとっては真実なのかもしれない』と思っていたんです。『私にはフィアンセがいる』とか『実はもらわれてきた子で、本当の親は別にいる』とか、謎の空想ワールドを語る子っていませんでしたか(笑)? そういう、その子のなかで進行しているストーリーを頭ごなしに否定せず、すくい取ってあげたい気持ちがあるんですよね」
花子がアンネと大きく違うのは、時折「白い部屋」に出入りし、そこで太郎という青年と知り合うことだ。太郎は東方系を収容所送りにする、独裁者の顔を持っている。まさにヒトラーとアンネだけがいる密室には、容赦のない暴力と愛情が満ちている。
「太郎と花子の関係は、愛情を示すのがうまくできなくて暴力に至ってしまうというか、「こんな劣った奴に、好きな気持ちを抱いている自分がわからない」と混乱した気持ちをぶつけるような、愛から生まれる甘えでつながっているものなんです」
一方は相手にわかってほしくて、もう一方は相手をわかりたい。でもうまくいかない。だから荒々しい手段に出る。それをただ、受け入れる。愛は決して、温かな優しさに満ちたものだけではない。力ずくで支配することもあるのだと、白い部屋の2人は語りかけてくるようだ。
今日さんはポーランドのブジェジンカ(ドイツ語名ビルケナウ)という村にあった、アウシュビッツ第2収容所(ビルケナウ収容所)跡を取材で訪れた。子供への人体実験や収容者をガス室送りにして大量にユダヤ人が虐殺されたその場所で、今日さんは没収されたメガネや義足、ガス室や焼却炉を見学している。