私には、親と楽しい時間を過ごした記憶があまりない。あまりというか(全く)ない。つらい思い出ばかり。
幼稚園の頃はもう記憶にないけれど、小学生の頃から殴る蹴る叩く、床に頭を打ち付ける、暴言等は当たり前……。泣いても叫んでも、やめてくれなかった。今でもフラッシュバックするほど苦しかった。
母親が“みんなで死ぬぞ”って言って包丁持ち出してきたり、父親がお酒で酔って、身体中が痣(あざ)になるほど暴力振るってきたり、一時期、家を出入りしていた男に乱暴されたり。
挙げ始めたらキリがないけれど、7歳になる私の誕生日の時、珍しく親がニコニコしてケーキを用意してくれていた。親に恐怖を日頃から抱きながらも、私はそれが少しうれしかった。だけど(記憶が抜け落ちて)もう覚えていないが、何かの拍子に母親がキレた。そして、“お前なんか産まなきゃよかった! 死ね!”って言いながら、包丁がぶっ刺さったままのケーキを投げ付けた。
今でも言葉に出来ないくらい、悲しくて苦しいものがあった。小1でよく耐えたと思う。それ以降、私の家には誕生日は存在しないし、おめでとーなんてそんな言葉はない。その代わりに、“産まなきゃよかった死ね”って毎年。
その後も、良いことなんて何一つなく、どんどん家が荒れていき、児相(児童相談所)に保護してもらえなかったり、自傷行為に走ったり、本当にいろんなことがあって今に至る。
常に、心臓が痛くて、吐き気が伴う。親から暴力振るわれたり、怖い思いをするのはいつも一人の時だから、誰かといないと、つながっていないと不安で、寂しくて怖くて仕方なくて、ピークに達するとパニックになってしまう。
苦しいや辛いよりも、寂しいという気持ちや誰かに甘えたい、(不安で仕方ないから)誰かに抱き締めてもらいたい、という気持ちがとても強く、それを紛らわすために、満たすために、夜遊びも繰り返す。
見知らぬ人と出会って、危ないことを伴って抱き締めてもらう。いけない事だとは分かっていたし、それでしか、“誰かといたい”“抱き締めてもらいたい”という気持ちを満たすことができない自分にも悲しくなった。それでもやめられなかった。
だけど、本気で目を見て、その夜遊びを“嫌だ”と、“悲しい”と、言ってくれた大人がいた。“自分を大切にしてほしいし、あなたにはそういうことをしなくても生きていける力があるから”と。
今まで、危ない夜遊びを“そんな馬鹿なことはやめなさい”とか頭ごなしに怒ってきたり、危ないことをしていると知って黙って離れていく大人はたくさんいた。だけど、この大人のように、目を見て、思ってることをそのまま伝えてくれて、いけないことをしてるのにもかかわらず、突っ放したりすることなく向き合ってくれる大人には初めて出会った。
家が荒れているのも、寂しさが常にあるのも何一つ変わらないし、そんなすぐにはやめられないかもしれない。夜中に家から追い出されたら、寂しさが勝って行きたくなってしまう時もあるかもしれない。
だけど、私が心から信頼している大人が、私の力を信じてくれて、向き合ってくれているんだから、私は絶対に夜遊びをやめようと思った。やめるとその時決めた。私も自分の力くらい信じたい。信じてあげたい。
私のことを支えてくれる大人は今はたくさんいる。その力を借りながら頑張りたい。そして私も、親のようにではなく、きちんと子どもと向き合える大人になりたい。
最後に。お母さんとお父さんへ。
本当は、お母さんとお父さんからの愛情が欲しかったよ。もっと大切にしてほしかったよ。たくさんしてほしかったよ。満たされない欲求がいっぱいあるまま、大人になるのが今一番、不安で怖くて仕方ないよ。もっとちゃんと見て、抱き締めてほしかったな。