ともに活動したメンバーとの再会
震災から5年たった3月11日、一緒に活動していた女川高校OBのメンバーと再会した。約2年ぶりだった。県外で自動車整備士になったり、県内で消防士として働いていたり、様々な地域活動に取り組む大学生になった人もいる。大学を中退し、求職活動をしながらバイトをしていたり、仕事を辞めて仮設住宅で療養している人もいる。身寄りがなく、夜の仕事をしながら生き延びてきた人もいる。それぞれが仕事の悩みや上司の理不尽さに困っていること、将来への不安などを話してくれた。
「家族がうつになり、一緒にいたら自分まで引き込まれると思って家を出た。自分の身を守るためにはそうするしかなかったけど、これでよかったのかと悩む。両親は仕事もできない状態になってしまって……」と涙ぐんだり、「人とこんなに話したのは久しぶり。私ってこんなにおしゃべりだったんだって、今、話しながら思ってます」と話してくれた人もいた。
辛い経験をした時、その影響は経験の直後だけでなく、数年後になって現れることもある。震災の影響も、そうだ。
できることをし続ける仲間たち
震災直後、石巻市でともに災害ボランティア活動をし、今でも地元に残っているメンバーとも再会した。いや「残って」という言葉は彼らに失礼だ。石巻で生きることを決めた、自分にできることをし続けると決めた仲間たちである。
子どもの頃に阪神・淡路大震災を経験し、震災直後に人生初のボランティア活動をしに石巻市に来て、避難所の運営や復興支援活動を続け、今は市の社会福祉協議会で働いている人。学生時代に上京したが、震災後に故郷の石巻市に戻り、子どもを支えるNPOを立ち上げた人。東京で小学校の教師になったが、震災直後にボランティア活動をした経験から石巻の子どもたちと関わりたいという想いを持ち続け、当地に戻って教師として働く人などである。
こう並べると、すごく立派な人たちのように感じる(私は彼らを尊敬している)が、「震災前はひきこもりだった」「やりたいことがなく、自分の生きる意味がわからず迷っていた」という人もいる。「被災地でできることをしよう!」と意気込んでいたわけでなく、被災地で人との出会いを通してできること、やるべきことを見つけ、これは自分の使命だと腹をくくったり、できることをし続けている人たちだ。
私たちは互いの活動や直面している困難について話し、「被災地だからというわけじゃなく、どこも抱えている問題は一緒だよね」とうなずいた。生活が困窮し、家族がうつになったり、孤立し、母親は夜遅くまで仕事をし、子どもが祖父母を介護することになり、学校に行けなくなったり、安定した仕事につくことができず、ますます生活が困窮したり……。そんな子どもたちが危険な仕事に取り込まれていくことと、弱っている時にお年寄りが振り込め詐欺に引っかかってしまうこと、どれも似た構造ではないか。みんなが自分の生活でいっぱいいっぱいで、余裕がない。そんな時こそ、誰かを支えたり、支えられたりする関係性が必要だと思う。人の弱みにつけ込もうとする人たちも、社会的な弱者であり、誰かに利用され命令されていることが多いとも話し合った。
石巻市で子どもへの支援活動を行うNPO法人TEDIC(テディック)の門馬優代表は、「震災があったことで、子どもたちの抱えている困難な状況に気づいてもらえる、注目してもらえるようになった」と話した。
緊急期の支援と中長期的な支援
緊急期の支援活動を終えて、いったんは東京で働いたが、石巻市に戻り教師になった友人について、別の友人が「みんな出て行くばかりだったから、帰ってきてくれる人がいてうれしかった」と話した。
がれき撤去や炊き出しといった緊急期の支援は、課題もわかりやすく、人も集まりやすく、誰でも参加しやすく、期間も短いため気持ちの面でも勢いやパワーで乗り切りやすく、成果もわかりやすい。一方、被災者の生活復旧や復興に関わる中長期の支援は地道で、腰を据えて取り組む人が必要で、様々な人や機関とのつながりや知識が求められ、学んだり信頼関係を作る努力をしたりする必要もあり、関係性によるしがらみも生まれ、数値で測れるような成果は見えにくい。やりがいがあるが、そのぶん大変でもある。
虐待や性暴力被害者への支援も同じだ。親から殴られた、誰かにレイプされたという被害者に対して、緊急の対応をサポートしてくれる仕組みはある。それが十分に機能しているかは別として、虐待を受けた子どもを保護して親元から離したり、性犯罪被害者を病院や警察につないで、カウンセリングを受けさせたり犯人逮捕もできるかもしれない。しかし、辛いのは緊急時だけでない。
子どもの虐待通告全国共通ダイヤル「189」が創設され、性暴力被害においては支援機関の紹介や連絡を一手に引き受けるワンストップ支援センターの設立も各地で進められ、それは前進ではある。しかし虐待通告が増えても、児童相談所の対応は追いついていない状態が続く限り、勇気を出して助けを求めた子どもたちが、そのまま放り出される現実を日々突きつけられている。性暴力被害者支援でも「ワンストップ支援センターがあるからいいだろう」ということにならないよう、中長期的な支援ができる人を増やしていかなければならない。
暴力を受けたことによる影響やトラウマの症状は、十数年経てから出ることもある。そして、その影響は何年も続く。継続してトラウマの治療やカウンセリングを受けられるのは、お金や知識や助けを求める力がある一部の人たちだけである。もちろん制度は必要だが、中長期的な支援は、支援者と被支援者の関係性によって可能になる。そのためには、支援者がそこに居続けられること、潰れることなく働き続けられることが必要だ。
石巻市での教員生活に悩む友人には、「支援者が『助けて』と言えることも大切」「自分一人ではできないんだから、支援者も周囲の力をもっと借りて、頼っていいんだよ」「子どもの前で完璧な教師でいる必要はないんだから。そうじゃないと、子どもも『助けて』と言えなくなる」と、一人ひとりが声をかけていた。
支援していた人に支えられる
支える側・支えられる側という関係だけでなく、支え合いの関係が生まれることによって、支援者も助けられる。活動していて嬉しかったこととして、仮設住宅で暮らす人々の支援をしている友人が、こんな話をしてくれた。
「仮設の集会所で集まりがあった時、ある住人さんが、名札があれば交流も深まるだろうと考えて、自主的にネームプレートを作ってくれた。他の住人たちは、何も知らずにその名札をつけて行くんだけど、その人の行動で住人同士の関係が深まるし、自分で考えて行動してくれたことが嬉しかった」という。
名札を作ってくれたことに感謝を伝えると、その人は「そうすれば、みんなにもいいかなと思った」と照れていたそうだ。
「人って、困っていたり弱っている人を見ると、何かしたくなるんだよね。目の前のこの人のために、まわりにいるみんなのためにしたくなる。何か行動してみた時に、そのことに気づいて、喜んでくれる人がいることで、また次に何か気づいた時、行動してみようと思うようになる。そうしたら、そこに支援者はいらなくなる」と友人は話した。
私もColaboの活動の中で、関わる少女たちの小さな行動にうれしくなることがよくある。インフルエンザにかかった子のためスタッフが食材や冷却シートを持って行こうとしていた時、慣れない包丁でリンゴをむいて持たせてくれた子がいたり、誰かが落ち込んでいる時、ただそばにいてくれたり、励ましてくれたり、「自分も同じような経験をしたけど乗り越えられた。だからあなたも大丈夫」「その気持ち、わかるよ」と話してくれたり、笑わせようとしたり、時に叱ってくれたり、私には言えない気持ちを聞いてくれたりする。小さな行動が、大きなきっかけになる。
「私たちは、大きいことはできません。小さなことを大きな愛をもって行うだけです」とマザー・テレサも言っている。
無力な一人の人として、何をするのか
震災後、ボランティア活動に来た人が「私には何もできないんです。できることがないんです」と号泣していたことがあった。「あの時はなぐさめるのが大変だったよね。あの忙しい時に、困ったよ」と、当時の仲間が話した。
「僕たちは何もできないということを知ったうえで、その中でできることをしようと動いてたけど、『自分が助けたい!』という気持ちが強かったり、自分がイメージした通りに『誰かが助かる』ということが、明快に起きると思っている人には辛いよね」と。
もし、あなたが何かに悩んだ時、「助けてあげたい! 助けます!」と意気込む人のところに相談したいと思うだろうか。