仁藤 私は活動の中で、自傷や薬物依存、アルコール依存などを抱える中高生と関わっています。そういう子たちは学校でも病院でも役所でも、たくさん怒られ、責められ、説教されています。でも、その子たちに本当に必要なのは説教じゃないと思うんです。では何が必要で、私たちに何ができるのか。今日は松本俊彦先生と一緒に考えていきたいと思います。
傷が深い子ほど助けを拒むもの
松本 子どもたちが、いわゆる“悪いこと”の告白をするのは、困っているからですよね。助けてほしい気持ちがあるから、「この人になら言ってもいいかな」と思う大人に告白する。ところが結果、警察騒ぎになったり責められたり、もっとひどい状況になってしまうことが多い。するとその子は「困った時に大人に相談しちゃダメだ」と学んでしまいます。我々は時々、善意をもって、困難を抱えている子を救うチャンスをつぶしているんです。
仁藤 私たちも、公的な機関とも連携していきたいのですが、本当にその子にとっていい方法を探して支援してくれるのか、どの人を信じていいのか、難しいと感じることがあります。
松本 リストカットが止まらなくて入院したのに、「入院中にリストカットした人は即退院」という病院もありますからね。
仁藤 性的虐待を受けてきた子たちが、被害の影響から病院や施設などで職員や支援者とセックスしてしまうことがあるんです。そうすると「問題を起こすから」と、締め出されてしまう。施設側の問題で、女の子にとっては二次被害なのですが、「女の子のほうから誘ってきた」と責められることがあります。
松本 支援者は、トラウマのことを勉強してほしいですね。性的虐待を受けた子は、他にも有形無形の暴力がある中で生き延びています。その子にとってセックスは、恐怖や命の危険を感じた時の生き延び方、殺されないための手段でもあった可能性が高いです。病院や施設は“悪いこと”をしないようにしつけたり、何かにつけてダメ出しをする環境でしょう。これは「支配・被支配」の関係ですから、過去の外傷が刺激されてフラッシュバックが起きやすい。「ここは安心できる場所じゃない、生き延びなければ」と感じるから、性的な誘惑をしてしまうんです。
仁藤 説教すればするほど、問題を起こしてしまうということですね。Colabo(コラボ)にいる時は落ち着いて生活できていたのに、閉鎖病棟に入れられたとたん暴れてオムツをはかされた、という話もよく聞きますし、「クスリは怖いよ」と脅せば脅すほど「もうマジで死にたい」ってなる。「市販薬を何錠飲んだら死ねるの?」とか、よく聞かれます。そういう時は「150錠くらいまで飲んで、胃に穴があいたけど死ねなかった子がいるよ。でも、どういう時にクスリを飲みたくなるの?」と、リスクを伝えながら、背景に目を向けるように話にしているんですけど。
松本 たぶんその子たちは、死ぬのはそんなに怖くない。「これ飲んだら死ぬよ」と言われたら、「じゃあ使おう」と思うでしょう。それより寝たきりになるほうが怖いんじゃないかな。死ぬことも、自由にできないような状態になるのが一番辛いよね。
仁藤 そうですね。それから、女の子たちの中には若くして親になっていく子もいるんですけど、何をどう伝えていったらいいか、いつも考えています。
松本 そういう子たちは、人一倍いい親になりたいんですよね。
仁藤 そうなんです。傷が深い子ほど、助けを拒んで、自分一人で頑張ろうとします。
同性の友だちと安定感ある関係を
松本 僕は、たまに泣き言を言ってくれたら、めちゃくちゃ褒めますね。「すごい進歩だね」「それが大事なんだよ」「人から支援を受けるのは悪いことじゃないんだ」と、チャンスを見つけて伝えるようにしています。「妊娠した」と聞いたらまず、「よかったね。でも一人ぼっちで出産や子育てをやっちゃダメだよ」と。そうして地域で連携態勢を作ってしまうと、ガッチリ支援の輪につながっていく子もいるので、最近、妊娠は一つのチャンスだと思うようになりました。
一番まずいのは、虐待を受けて育った子が、実家の母親のサポートを受けること。加害者の母親も子育て経験はあるから、娘に「ほら、私はこんなにできるわよ。おまえじゃダメだ」とダメ出ししてしまう。すると母親になった子は、みるみる不安定な状態に戻ってしまいます。「親に頼るより行政のサービスのほうがまし」と、親以外の支援を受けられるようにしていくほうがいいと思います。
仁藤 やっぱりそうですよね。虐待を受けた子どもが大人になるにつれ、「親も辛い環境で育ってきたんだ、許さなきゃ」という気持ちになることもあります。でも、それで親を支えようと思ったり、親を頼ろうと思ったりすると、また親に利用されてしまう。関わっている女の子たちに「もう親は変わらないから、あきらめたほうがいいよ。それより自分がいろんな関係性を持って生きていけるようになればいいよ」と話すんですけど、私も親をあきらめられない子どもの一人かもしれません。
Colaboでは女の子同士のつながりをかなり自由にしているんです。辛い状況で生きてきた子たちは、他の子に対しても「今はこういう声かけをしたほうがいい」「今は聞いてないふりをしたほうがいい」と、感覚でわかる。その力って大きいな、と。先生もご著書『自分を傷つけずにはいられない』(2015年、講談社)の中で「同性の仲間やつながりが大事」と書かれていますが、それはなぜですか?
松本 女性の患者さんで、最終的にそれなりにハッピーにやっている子は、同性の仲間が多いんです。孤立してる女の子は危険な男につけ込まれやすい。「この男はまずい」と思った時に逃げ出せる子は、「あんな男やめなよ」「もっといいの紹介するよ」とか、いろんなネットワークがあるんですね。男女の関係って、短期的には楽しく幸せな気持ちにさせてくれるけど、うまくいかなくなったら友だち以下になることがほとんどでしょう。同性の友だちと安定感のある関係が持てるのは大事だと思います。
ただ、最終的には同性の輪につながってほしいけど、悲惨な体験の中で基本的な信頼感が粉々になっている人たちですから、まずは1対1の二者関係の中で、人間に対する信頼感を取り戻すプロセスはどうしても必要だと思います。そこは仁藤さんが踏ん張っていくしかないかなぁ。
「ダメ。ゼッタイ。」は危険な囁き
仁藤 もう一つ、私は女の子たちの誕生日祝いを大切にしているんですけど、いつも迷うんです。誕生日は死にたくなる日、という子が多いから、「おめでとう」と言っても「うれしくないよ」って。先生はそういう時、なんて声をかけますか?
松本 僕も「おめでとう」って言いますよ。相手の気持ちを、ある程度わかって言ってるのか、わかっていないかは、伝わると思います。「消えたい」「いなくなりたい」と思いながら生きている人たちにとって、誕生日は「また死なずに1年、歳をとってしまった」という日なんですよね。死ねなかった自分はなんてダメなやつなんだ、と1週間くらい落ち込む。それを知っているかどうかが大事。
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