この時代のヨーロッパ社会についての証言を集めた本は次のように記しています。「ヨーロッパ中で飢えに苦しむ何百万という人々が、次の食事のために全道徳的価値を擲つ用意があった」(キース・ロウ『蛮行のヨーロッパ』猪狩弘美・望龍彦訳、白水社、2018年)。自分が生きるために人を殺める、缶詰ひとつのために体を売るといった行為は日常茶飯事でした。エドモンドは、大人のために役に立とうと献身的に尽くし、それゆえに父親を殺すという破目に陥ったばかりか、自らの身であまりにも大きい代償を払うことになりました。当時のイギリスの新聞は、この時代の子どもたちのことを「失われた世代」と表現しましたが、ロッセリーニの言葉にもあるように、そのような欠損を生んだのは、この時代の大人たちでした。
子どもが政治に目覚めるとき――『ぜんぶ、フィデルのせい』
子どもが社会の合わせ鏡だとしたら、その社会が変わるならば子どもの在り方も変わります。そのことを、時代のもうひとつの転換点である60年代から70年代のフランスの子どもを通じて描くのは『ぜんぶ、フィデルのせい』(ジュリー・ガヴラス監督、2008年)です。
「フィデル」とは、キューバ革命を指導したフィデル・カストロのこと。気難しい9歳の女の子、アナがキューバ人家政婦に向かって放つ言葉がタイトルになっています。彼女の父親は弁護士、母親は女性雑誌編集者というともにインテリで、戦後のベビーブーマーが成人となって新左翼的な志向が支配的となっていったこの時代の空気を吸い、チリのアジェンデ政権の支持者になっていきます。
フランスでなぜチリの政治が関心の的になったのか、説明が必要かもしれません。1970年に成立したアジェンデ政権は、冷戦とベトナム戦争の只中に世界で初めて自由選挙によって生まれた社会主義政権として知られています。外資系企業や大企業の国有化や土地開放など、貧富の格差の激しいチリで農民と労働者寄りの政策を掲げた革新的な政権でした。いわば、それまで理想でしかなかった、ソ連とは異なる「人間の顔をした社会主義」が現実に生まれたことで、当時の若者たちは熱狂したのです。これに危機感を覚えたのがアメリカのニクソン政権で、キューバに続いて自国の「裏庭」たる中南米で社会主義体制が誕生するのを止めるため、金融制裁やCIAを使った工作でチリ国内を動揺させ、1973年に軍部によるクーデターによって政権を倒すことに成功しました。クーデターが起きた1973年9月11日は、アメリカ同時多発テロとともに「もうひとつの9.11」として世界史に記録されることになります。その後、チリは新自由主義経済学の実験場となる一方で、実に1990年まで軍部出身のピノチェト大統領による権威主義体制を経験することになります。
さて、このチリの左派政権を物心ともに応援しようと、アナの両親は仕事を辞めて反体制派の革命家たちのアジトとして自宅を解放します。当然ながら、娘アナにも労働者の味方をするように諭します。彼女がコミックを読めば「ミッキーはファシストだ」と取り上げ、反カトリック(世俗主義)の立場から学校の宗教教育にも出席させないようにし、第三世界との連帯とばかりに、アナが慕っていた反カストロのキューバ人の家政婦をクビにして、軍事政権下にあったギリシャや戦禍にあるベトナムの女性にアナの面倒をみさせます。死刑反対デモに参加してアナが「お腹がすいた」と漏らせば「自分のことばかり、団結の精神を持て」と叱られます。最初は両親の熱心さに引きずられていたアナも、両親のこうした政治的意見の一方的な押し付けに反発するようになります。
反骨心と好奇心旺盛な彼女は、甘やかしてくれる祖母に尋ねます。「パパたちはキョーサン主義者? どんな人たちなの?」「学生や労働者もいるけど、特に貧しい人たちよ」「望みは?」「すべてよ。私たちの家、ブドウ畑、洋服、お金、オモチャも」。
この時代にはよくあったことですが、自らが裕福で恵まれた環境で育った世代の人たちは、途上国の労働者たちの味方をすることでその贖罪の意識を払拭しようとしました。アナの母親の実家は保守的なブルジョワで、父親の実家は当時権威主義体制を敷いていたスペインのフランコ体制の下の名家でした。こうした両親の個人的な出自は、遠いチリではなく、実際の社会の問題に取り組むきっかけを作ります。作中では、アナの母親が、当時のフランスで有名になった「343人のマニフェスト」という、当時は非合法だった妊娠中絶を経験した女性たち(中には「人は女に生まれるのではなく女になるのだ」という言葉で有名な哲学者ボーヴォワールも含まれます)による宣言文の作成に取り組む姿が描かれていますが、これも彼女の姉が中絶を余儀なくされたことをきっかけとしたものでした。父親も娘を実家に連れて行き、自分たちの家がフランコ派であったことを明かします。こうした親の姿をみて、アナも徐々に心を開いていくことになります。頭のなかで繰り広げられる革命ではなく、両親の具体的な苦悩がこの世界の不幸と結びついていることを理解するようになったからです。親が悩むことで、子どももともに成長していくのかもしれません。
60年代後半に日本を含む先進国でみられた大規模な学生・労働運動は、大きな価値観の転換を社会にもたらしました。女性の権利の尊重(中絶もそうですが、例えば夫の許可がない場合、女性は銀行口座すら開けないのは当たり前でした)、マイノリティへの差別禁止(アメリカの黒人差別を禁じる公民権法は64年に成立)、若年層の選挙権年齢の引き下げ(ほとんどの国が20歳から18歳へと変更)、環境意識の定着(「成長の限界」を訴えたローマクラブの報告書は72年に発刊)など、現代にも至る多くの問題が提起されることになったのは、この時代のことでした。自身も当事者だった批評家の絓秀実(すが・ひでみ)は、フェミニズムやエコロジーといった「『新左翼的な』文化は、すでに常識的な心性と化して(略)日常的な細部にまで浸透」したのがこの時代だったと回顧しています(『1968年』ちくま新書、2006年)。
大人になっていれば、アナはすでに還暦を迎える年齢になっています。そして、「Y世代」や「Z世代」と呼ばれるようになった彼女の子どもの世代は、新たな社会運動の担い手となっています。