このようにみると『ネブラスカ』は、巷間いわれるように、心温まるロードムービーなどではありません。プライドを傷づけられてきた人間、そして変化の著しい世界が遭遇した時、ポピュリズムが頭をもたげます。イギリスの現代史家ガートン・アッシュは、映画のウディは、旧世界に生きてきた人物の尊厳が現在になって傷つけられたことを描くものであり、そのような人々こそが各国でのポピュリズム支持者になっているのだ、と書いています(※3)。
アメリカやヨーロッパで議会を信頼している有権者は3割程度しかおらず、政治不信がポピュリズムの原因となっていることは広く知られています。映画では、ウディとデイビッド親子が道中で失くしたものを探す、という場面が幾たびか出てきますが、それはまた世代を超えて、喪失されたもの――時代の変遷によって失われてしまった人間の尊厳――を取り戻さなければならない、というメッセージであるかにもみえます。
賞金を受け取ろうとする2人は、最終的に目的地にたどり着きますが、もちろん当選などしていませんでした。「一度でいいから新車を買いたかったんだ」「何かを残してやりたかったんだ」――父親のそうした想いを聞いていたデイビッドは、自分の車を下取りに出し、100万ドルの賞金は出なかったけれど、代わりにピックアップトラックが貰えたんだ、と父親に報告し、あわせてコンプレッサーをプレゼントします。そして、ウディはその車にコンプレッサーを載せ、故郷だった街の目抜き通りを運転し、周りから称賛の目を向けられるのです。アメリカでは、ピックアップトラックは成功の証し、一人前の男であることの象徴でもあります。
果たして、ウディは2016年と2020年の大統領選でトランプに投票したでしょうか。おそらく、デイビッドの父親への愛情によって、彼がポピュリズム支持者となるのは防がれたのではないでしょうか。
(※1)
Agnes Akkerman "How Populist Are the People? Measuring Populist Attitudes in Voters" Department of Sociology, VU University Amsterdam, the Netherlands を参照
(※2)
シーモア・M・リプセット『アメリカ例外論』(上坂昇・金重紘訳、明石書店、1999年)を参照