いくつになっても若々しく見えた「チャイ」
谷村 初めての猫、「チャイ」と暮らし始めたとき、わからないことがたくさんありました。途方に暮れていたときに手にした猫の本が、加藤さんが書かれた『雨の日のネコはとことん眠い』(PHP研究所、1990年)だったんです。いろいろなことが書かれていて、チャイのあの行動はそういうことだったのかと腑(ふ)に落ちることがたくさんありました。だから、今日はお会いできるのを楽しみにしていました。加藤 ありがとうございます。私も谷村さんが書かれたエッセイ『チャイとミーミー』(河出書房新社、2012年)を読ませていただきました。4年前に出版された本ですし、チャイは腎臓病を発症しているとあったので、さすがにもういないと思っていましたが、去年まで生きていたそうですね。
谷村 そうなんですよ。腎臓病がわかったときは「あと1年くらい」と獣医さんに言われたのですが、亡くなったのは去年の11月だったので、22歳まで生きてくれました。
加藤 すごい! 獣医さんも驚いたんじゃないですか?
谷村 ええ、よく生きました、と。でも、私の目にはチャイはまだまだ若々しく映っていて、もっと生きられると思っていたんですよね。だけど、娘には「ママ、何言ってるの。チャイはすごく歳を取っていて、最後のほうは苦しそうだったじゃない」と言われました。私の前ではチャイは若々しく化けていたんだと今も思っています。
加藤 谷村さんのチャイに若くいてほしいという思いがそう見せていたのかもしれません。ミーミーは人見知りなんですよね。今、ささっと通り過ぎていったのですが、わりと小さめですか?
谷村 はい、小さめで3キロです。ミーミーは最初は人なつこかったんですが、今は、来客が苦手になってしまいました。でも、普段は甘えん坊で、私が仕事をしていると椅子の背中のところにずっといます。若かったミーミーももう12歳です。
子猫は生後2カ月までの時期が大切
谷村 加藤さんは歴代、どのくらい猫を飼ってきたんですか?加藤 そんなに多くはないです。子どもの頃は犬も猫も家にいましたが、自分で飼い始めたのは30代半ばになってから。人の数×2が完璧に猫の面倒を見られる数だと私は思っているので、ひとり暮らしの私のところには常に2匹ずついます。今は「まる」と「チビ」の2匹です。
谷村 相性はどうですか?
加藤 猫が嫌いな猫もいるんですよね。先住猫のまるは猫大好き猫なので、チビが来たときにもうれしそうにキャリーバッグに近づいてきたんですがフーッと威嚇され、それ以来、冷たい関係が続いています。
谷村 その関係は変わりませんか?
加藤 仲がいいわけではないけれど、ものすごく悪いわけでもない。少し大きめの中型犬用のベッドを置いていて、冬になると、まるとチビはそのベッドの端っこと端っこで離れて寝ているんですが、だんだん寝返りを打っているうちに最後には真ん中でくっついています。だから、冬の間だけは仲がいいですね。
谷村 寒くなるとくっつくというのは、よく聞きますね。チャイとミーミーは一日で仲良くなったんですよ。
加藤 お互いが猫好き猫だったのかしら。
谷村 いえ。もう1匹飼えないかと何回か声をかけられて試してみたこともあったんですが、チャイはそれまで他の猫を受け入れられなかったんです。でも、チャイと私のふたり暮らしだったのが、私が結婚して子どもが生まれると、チャイは寂しそうな顔をすることが多くなりました。そんなときにまだ手のひらにのるくらいの大きさだったミーミーを連れてきたんで、すぐに受け入れることができたのかもしれません。
加藤 うちには以前、「フー」という子育て上手のオスがいました。友人の獣医師が、「里親が見つかるまで預かって」としょっちゅう子猫を連れて来たのですが、フーは子猫の面倒をよくみてくれました。子猫の姿が見えなくなると、グルルンって母猫が子猫を呼ぶように鳴いて探して、くわえて連れ戻す。出もしないおっぱいを吸わせて幸せそうにしているときもありました。
谷村 フーちゃん、すごいですね。
加藤 それを見ていて、フーは去勢していましたが、性別にかかわらずもともと母性本能みたいなものがあって、それをオスのホルモンが止めているということなのかなと思いました。
谷村 私は学生時代、動物生態学を学んでいて進化論をやっていたのですが、ちょうどドーキンスの「利己的遺伝子」の概念が日本に“上陸”した頃でした。以前、霊長類学者の河合雅雄先生と対談集を出させていただいたときに、河合先生は利己的遺伝子という言葉では言い表せない、「慈愛」のようなものとしか表現できない行動が動物にもあるのではないかとおっしゃっていました。そのとき例に挙げたのは20年くらい前にアメリカの動物園で、ゴリラ舎に誤って転落した人間の子どもをメスのゴリラが助けたという話。ゴリラにとってはなんのメリットもない行動だけれど、思わず人間の子どもを抱きかかえたのです。
加藤 覚えています、その話。私は慈愛のようなものも込み込みで利己的遺伝子に乗っていて、どの動物も持っているものだと解釈していました。
谷村 親子で乗っていた船が沈みそうになったとき、親が降りて子どもが生き延びられるようにするというのは、それが次の遺伝子を残すのに有利だからだという考えがありましたよね。それが加藤さんのおっしゃる“込み込み”だということですね。ただ、私はそれを超えたもの、やはり記憶に育まれる情のような力を感じるんです。親子関係で言えば、話が少しずれますが、ある種の感受性が培われる時期というのが、生きものの中にはあるのかなという気がしているのです。私は子ども向けに『シートンの動物記』の翻訳をしましたが、その中でカラスやキツネなどの親が、生きていくためのいろいろなことを子どもに教えるんです。そういう描写は、しつこいくらいでおもしろいんですけど、教育の期間にやはり情が育まれているように感じた部分でした。