今まで、かなり理不尽な目にあったので、いい作品を作って認めてもらいたい、相手が認めざるを得ないほどいいものを作ればいいんじゃないかって、憎しみをモチベーションにすることはありますね」
彼女の短歌が初めて評価を受けたのは12年。全国短歌大会で、彼女の歌は3000首以上の中から穂村弘氏選の佳作に選ばれた。彼女の人生を変えた「シンジケート」の著者である。こんな素敵な偶然があるだろうか。
“思い出の家壊される夏の日は時間が止まり何も聞こえぬ”
選ばれたのはこの歌だ。
現在、鳥居の短歌は高い評価を受け、着実に注目を集めつつある。東京新聞・中日新聞の夕刊では、15年4月26日から約1カ月間、「鳥居 セーラー服の歌人」というタイトルで彼女に関するコラム(全21回)が掲載された。
7月には、社会学者の上野千鶴子氏主催の研究会で、鳥居の短歌朗読会が開催された。この会を企画したのは、「鳥居論」を執筆中の東京大学大学院総合文化研究科の岩川ありささん。冒頭で岩川さんは「鳥居さんは、これから世界に出ていく人です」と紹介した。参加者の中には「鳥居ファン」という親子の姿もあり、鳥居に注目する多くのマスコミ関係者もいた。満場の拍手を受けた鳥居は、終了後「誕生日も祝ってもらったことないのに、こんなに拍手してもらって泣きそう」と繰り返した。
様々な理不尽な経験を、今、鳥居は全身全霊で歌に込め、自分と、そして世界と格闘している。彼女の言葉に、多くの人が魅了されている。
“毎日死にたいと思っています。
だけど生きています。
大好きなお母さんが自殺した日も
孤児院で「ゴミ以下」と蔑まされた日も
生きました。
悲しい気持ちを知っているから
生きることがつらい
他の人の気持ちも
少しは理解できると思います。
私じゃ何もできないかもしれないけど
そばに居て 手を繋ぐことくらいなら
できると思います。”
(2015年4月17日、東京新聞・中日新聞夕刊「鳥居 セーラー服の歌人」より)
インタビューの最後、鳥居は言った。
「私はずっと友達がいなくて、わかってくれる人も、助けてくれる人もいなかった。でもそういう人は自分以外にもいる。みんなが楽しくやってる時に自分一人だけ寂しいとつらいけど、私みたいに全然助けてもらえない人もいるって知ってほしいなって思います。
たまに言うんです。誰も一人にならないように、私は絶望の底にとどまっていますって」
セーラー服の歌人は、今日も生きづらい誰かの傍らに、手をつなぐようにしてそっと寄り添っている。
次回は10月1日(木)の予定です。
セーラー服歌人との出会い
(作家、活動家)
2015/09/03