彼女が出した本だって、発売されてすぐに買って読んでいた。面白かった。文章もうまかった。だけどロフトプラスワンのステージ上で彼女に求められるのは「何でもするAV企画女優」みたいなことばっかりで、痛々しくて見ていられなかった。
そうして、「AVで処女を喪失する」ことで何者かになりかけていた井島ちづるは死んだ。さんざん消費されて、たぶんいろんな人に傷つけられて。死因はよくわからない。オーバードーズなのかな、とぼんやり思っていたけれど、真相はいまだ闇の中だ。
1990年代〜2000年代初めにかけて、私のまわりでは、そんなふうに死にたがってる人たちが、あまりにもあっさりと命を落とすことがよくあった。バブルが崩壊して急速に不況となり、就職氷河期の嵐の中、生存競争は過酷になり、心を病む若者が急増し始めた頃。社会不安は増大し、多くの若者たちが「これからどう生きていけばいいのか」さっぱりわからなくて、だけど自分を責めることしかできなかった90年代。そこに「自分探し」的なものも絡んで、命を落とす人が少なくなかった。
彼女の死からほどなくして、私に本の出版の話が舞い込んできた。この話を逃したら死ぬ。そう思い、必死で書いて一冊目の本を出し、25歳でデビューとなった。それから5年後、私の師匠である見沢知廉氏はマンションから飛び降りて死んだ。
27歳で死んだ井島ちづるが生きていたら、もう45歳。本棚の一番目立つ場所に現れた「あの頃」が詰まった本を見ながら、「生き延びたのだ」という事実を今、噛み締めている。
「生きづらい女子たちへ」は単行本準備のためしばらくお休みします。