雨宮 でも、そういう空気に順応して、率先してキャバ嬢的役割をする女子アナのほうが多いわけですよね?
小島 目に付くのはそういう人かもしれないけど、悩んでいる女性アナは多いですよ。会社の本音と建前に挟まれて悩むんです。でも最近は、放送局も元タレントやアイドルを採用して早めにフリーになってもらって若い子をどんどん回転させたいという本音をむき出しにしていますので、今の若い人はむしろ悩まずにすむかもしれません。
そう言えばずいぶん前に、バレンタインデーに合わせて若手のスタッフの妻に大量にチョコレートを作らせて、現場のスタッフ全員に「私からですー」と言って配った人がいたという噂を聞きました。それ絶対スタッフの妻の呪いが溶け込んでますよね。
雨宮 それはすごい!(笑)
小島 そんなことまでしないと生き残れない、と彼女が思いこんでしまったことが悲しい。そういう女性は女性から嫌われますけど、義理チョコ処世術が有効だってことをみんなも分かっているんですよね。そんな不毛な慣習を有効たらしめている状況を変えたいのに、何喜んで乗っかってるんだよという苛立ちもある。こういう構造はテレビ局に限らずどこの職場でもあると思うし、じつは男性も上司であるオヤジたちから“女子アナ”と同じような役割を求められていたりするんですよね。
雨宮 つまり、女子アナ的メンタルじゃないと生き残れないという……。
小島 そう、従順で権威主義的な、オヤジの喜び組をやれと。もうね、この国は一億総女子アナ状態なんですよ。それに気づいてから、私をしんどくさせているのはすべての男性というわけではないんだと思うようになりました。
雨宮 それはいつ頃からですか?
小島 20代の終わり頃ですかねえ。私、テレビ局時代に労働組合の執行委員を9年、そのうち7年、副委員長をやっていたんです。
雨宮 えっ、女子アナで労働組合の副委員長ですか!?
小島 はい。“女子アナ”的には損しかしない肩書きですね(笑)。労働組合では、育児・介護休業制度やメンタルを病んだ人が復帰するプログラム作りなどを担当していたんですが、女性社員が少数だったこともあり、女性のために制度を変えてくれと主張しても会社はまったく聞く耳を持ちませんでした。そこで、その制度を変えたいと思っている男性社員も巻き込んで、当事者の数を増やせばいいんだ、と発想を変えたんです。
雨宮 なるほど。
小島 実際、社内には育児中の男性とか、病気療養中の男性とか、メンタルヘルス問題を抱えて復帰した男性が結構いて、休職する前と同じように働けない、でも誰にも言えないという悩みを抱えていたんですよね。そうした人たちを引き入れて、「実は当事者に男性もいますよ」と言った途端に、会社の態度がガラッと変わるわけです。男が当事者じゃないと動かない世の中なのですね、どうしようもなく。つまり女性はまともな労働力としてカウントしていない。こういう現実を目の当たりにして、女vs.男ではなく、人を人とも思わず死ぬまで働けという人間vs.その価値観に異議を唱える人ということなんだと学びました。
雨宮 素晴らしい! 私も、女性のセクハラ問題なんかについて話していると、男性から「男だって苦しいんだ」と言われることが多々あります。たしかに、女性と男性の生きづらさが重なると理解してもらいやすくなるというのはありますね。
小島 これは社会学者の千田有紀さんにうかがった話なんですけど、男と女の比率が8対2ぐらいだと、女性が何を言っても「マイノリティーがうるさい」みたいになるがちなのだそうです。女の意見はすべて「女という種族の意見」のような扱いで、風当たりが強くて状況もなかなか変わらない。それが、5対5になると、男女の二項対立ではなく、課題ごとの賛否で対立軸ができる。つまり性差よりも個人の価値観の差でとらえるようになるというんです。
セクハラがダメな理由を理解していない
雨宮 女子アナもそうですけどれも、男性優位社会では「女は華」とか「職場の華」みたいな扱いされるじゃないですか。私も男性ばかりのシンポジウムに「女だから呼んだ」と言われた時には、すごくショックでした。
小島 失礼この上ないですよね。ただ、それが一部の女性の特権になっていることも事実。私が女性の生きづらさについて話すと、「でも女子アナとして高い給料をもらってたじゃないか」と言われるんです。つまり、女としてオイシイ思いをしてきたんだから、お前に生きづらさを語る資格はない、と。確かに特権を得てきました。だけど口はつぐまない。男性優位社会の中では、女性は不本意ながらも少数派であることを逆手に取った戦略を使うしかない場面がいっぱいあって、スネに傷を持たない女なんていないわけです。生真面目な人ほど、「一回でも女というマイノリティーであることを梃に何かを手に入れたら、女性の権利をどうとかという資格はないな」と口をつぐんでしまうんです。
雨宮 小島さんがエッセーで書いた、「汚れちまった私」問題ですね。
小島 女に呪いをかけたのも、男に呪いをかけたのも、女だったんじゃないかという気がする。経済成長を最優先する社会で、理想とされた女性の生き方は専業主婦。70年代、専業主婦が多数派だった時代に女性の抱えた抑圧が、今こういう形で出てきたような気がします。夫婦関係やハラスメントの問題に詳しい臨床心理士の信田さよ子先生的に言うと、こうなったのは家庭を顧みなかった団塊世代の男たちのせいだっていうことになるんですけど。そういう男性はいまだに再生産されていますからねぇ。