それはこの十数年、私が貧困問題の活動をしているからで、「さまざまな行政の制度に詳しそうだから、何か情報を持っているのではないか」という期待があったらしかった。少なくとも、生活困窮やホームレス状態の人々の「生活再建」につながる情報ならたくさん持っていた。私の周りには支援者がたくさんいて、信頼できる支援団体がたくさんあるから「こういうことならこの人」「そのケースならこの団体に相談したら」というアドバイスができた。
そうできたのは、活動を通して、何日も食べていないホームレス状態の人が「支援のプロ」に鮮やかに助けられる場面なんかを間近で多く見てきたからだった。ある人は生活保護につながり、ある人はシェルターに入るという形で、さっきまで「もう自殺するしかない」と思いつめていた人が住む場所を得、生活再建のための基礎を得る。そんな光景に、いつも震えるほど感動した。
だけど私は、性被害に遭った人が「助けられる」のを見たことがなかった。そもそもどこに相談に行けばいいのか、どこが信じられる窓口なのか、使える制度でどのようなものがあるのか、まったくと言っていいほど情報がなかった。なぜか、調べることもできなかった。調べたりしたら、その件以外にもいろんな嫌なことを思い出しそうで、いつも手が止まった。
そうして、40代半ばとなった、この春。4月11日のフラワーデモで、私はガンと頭を殴られるような思いをした。あるライターの女性が、マイクを握って言ったのだ。「自分は電車の中で痴漢されている女性を見たら助ける活動をしている」と。
個人的に、たった一人でそんな活動をしているのだという。痴漢をするような男性に声をかけるのは、恐ろしく怖いことだと彼女は言った。何をしてくるかわからないからだ。毎回、「殺されるかもしれない」という気持ちで声をかけるという。だけど、そんなふうに自分が誰かを助けることで、「誰一人、痴漢被害者を助けない」世界ではなくなる。そのために勇気を振り絞って、見知らぬ誰かを助けているのだという。
話を聞いて、驚いた。驚くと同時に、私は自分が助けを求めても「助けられなかった」ことに、ものすごく傷付いていたのだと初めてくらいに、気づいた。差し出した手を、振り払われたようなあの時のショック。だからこそ、自分の痛みにあえて鈍感になっていた。だけど、自分の痛みを麻痺させていれば、他人の痛みにも鈍感になる。同時に、なぜ自分が性被害絡みのことになると、何も調べたりせずフリーズ状態になるのかわかった気がした。
今、私は、友人や知人が被害に遭い、相談されたら前よりは有効なアドバイスができると思う。それはフラワーデモに象徴される場を始めとして、多くの「性被害に遭った女性たちに寄り添う」人々と出会ったからだ。
正面からその問題に向き合えるようになるまで、20年以上かかったことに、愕然とする。同時に、ふと思った。性被害の問題に関わらず、例えば電車内のベビーカーに対する異様な冷たさとか、他者を決して助けない振る舞いがこれほど蔓延してるのって、みんな、誰かに「助けられた」経験がないからなのかもしれないと。「助けられている」現場を見たことがないからかもしれないと。だから、ライターの女性がしている「誰かを助ける行動」って、それを見せていくことって、世界を変えるくらいにすごいことなのかもしれないと。
4月のフラワーデモの1カ月後、再び東京駅前の行幸通りでデモが開催された。
「あなたは間違ってない」
またしても、多くの女性たちがスピーチで口にした。
私は間違ってなかった。勘違い女じゃなかった。
初めてくらいにそう思えて、そうしたら、ずっと囚われていた何かから解放された気がした。
次回は7月3日(水)の予定です。