あなた自身のキャリアをよく考えるように」と言ったのだという。「違法面接」で説教された上、「お断り」された顛末のあと、彼女は以下のように書く。
《「キャリア」とみなされない労働に従事していないと、なぜ「生きていけない」社会なのか。「誰にでもできる仕事」とみなされる仕事に就くことは、生活保護を受けるよりも、苦しい場合さえある。フルタイムで働いていても月収が一〇万円を超さない労働。そのような仕事には「女性」が就いている場合が多い。そしてその状況から脱するためには「キャリア」の積める仕事に就くことを勧められ、自立支援させられる――。でもなんかこれっておかしくないだろうか。だって、自分は「一抜け」できたとしても、その自分がかつて担っていた単純労働を結局は誰かが担わされるのだとしたら、全然社会的には解決されていないのだから》
《ともあれ単純労働でどうして食べていけないのかが私にとっては一大テーマだ。私はたとえば郵便局でハガキを延々と手で仕分けることを八時間くらい続けても大丈夫だ。(中略)そのような労働で一定の賃金を得られ、かつ社会保障の後ろ盾もあるのならば、私は労働問題なんてやっていなかっただろう 》
そんな彼女の願う「一定の賃金」を示す文章も引用しておく。
《もっともアルバイトであれ、正社員であれ、単純労働とみなされる仕事を八時間して、(東京の家賃レベルの感覚では)月額手取り一五万円の給与をもらえていたら私は今のような活動をしていただろうか。始まりは、とにかく自分にできる(と思える)、安定した仕事がない、というわかりやすい事実にぶつかったことだった 》
手取り15万円プラス社会保障。ものすごくリアルな数字ではないだろうか。そして私にはここまで栗田さんが書いてきた鬱屈が、ものすごーく、わかるのだ。
フリーターの頃、いつも思っていた。なぜ、社会に求められる仕事をしているのにそれが責められ、食えないのか。なぜ、普通に認められないのか、と。だって、当時も今も非正規の人たちが担っている仕事の多くは、ひと昔前は正社員男性が担い、それで妻子を食わせて子どもを学校にやり、その上でローンを組んだ一戸建てなんかを建てられたものだったのだ。
なのに今、正規・非正規は身分制度のようにこの国の人々を分かち、格差を広げている。現在、非正規雇用で働く人の平均年収は175万円。非正規女性に限ると150万円だ。それを「食える」「子育てできる」賃金にすればいいのに、賃金を上げたいならキャリアを積んで転職しろと迫られる。そのための転職産業や資格産業が儲ける仕組みになっていて、今のままでも上を目指しても搾取される構造だ。それに嫌気がさして結婚を望もうものなら、今度は婚活産業に搾取される。
だけど、「結婚さえすればどうにかなる」なんて幻想だ。栗田さんは、この「結婚すればどうにかなる」という価値観や感覚について、「逆に女性フリーターを苦しめるものにも思える」と書いている。
《個々の女性が結婚さえすれば、フリーターの問題は解決するとは思えないから。女性で、公務員等の手堅く稼げる職(それはなんと少ないことだろう)に就けないとすれば、銀行でお金を借りることもできず、相手を保証することも当然できず、家を借りることすらままならず、それならばと親と同居すれば「パラサイト」と言われる「構造」、その「構造」は微塵も変わらぬまま、「結婚さえすれば」よいのか 》
そんなことを悶々と考えながら、栗田さんも私も40代になった。私はフリーランスで、栗田さんは非正規で働きながら。そんな単身アラフォーの人生はトラップだらけだから、私は今も貧困問題をテーマにし続けるしかない。そんな私や栗田さんの現実について、立派な肩書きがあり、安定した高所得があるA氏のような男性には決して想像がつかないだろう。だからこそ、「すぐ飽きてやめる」と思ったのだろう。だけどA氏と違い、私の人生は落とし穴だらけなのだ。
A氏との対談から、10年以上。私が今もこの活動を続けていることについて、彼はどう思っているのだろうか。聞いてみたい気もするけれど、もっとひどい「代弁」をされたらたまらないので、やめておこう。
次回は10月2日(水)の予定です。