この9月で、リーマンショック(アメリカの大手証券会社リーマン・ブラザーズの経営破たんによる世界的な金融危機)から11年になる。そしてちょうど10年前の2009年は、年越し派遣村で年が明けた。あの頃、反貧困運動の只中にいた私は多くの現場を駆け回っていた。
あれから、10年以上。私は今も貧困の現場にいて、もう13年以上、このテーマで取材を続けている。
なぜそんなことを書いたのかというと、最近、ふと苦い記憶が蘇ったからだ。それは年越し派遣村が開催される少し前のこと。ある文化人との対談の席でのことだった。
対談テーマは、政治とか選挙とかそんなことだったと思う。私は貧困問題を取材している活動家として呼ばれていた。対談相手は著名な男性で、年齢も私よりずっと上。初対面ではなかったが、会うのは数年ぶりだった。そんな男性A氏は私と顔を合わせるなり、挨拶もそこそこに憎々しげに言った。
「この前、〇〇さん(忘れたけど偉い人)のシンポジウムに出たら、あなたの話になりました。みんなあなたが貧困問題や不安定雇用の問題に取り組んでいて素晴らしい、と絶賛しているから、私は言ってやりましたよ。『私は前から雨宮処凛のことを知っていますが、あれはただの自分探し女で、たまたま今、彼女の自分探しに貧困問題がハマったからやってるだけですぐにやめるに決まってます。そういう女なんですあの女は』って。だから安心していつでも活動なんかやめてください。断言します、絶対にあなたはすぐこんな活動やめるでしょう」
突然すごい剣幕でまくし立てられ、ポカンとしていた。ポカンとしつつも、自分がものすごく侮辱されていることはなんとなくわかった。その頃の私は活動を始めて1年ちょっとくらい。言葉を失う私に向かって、ダメ押しのようにA氏は言った。
「いいですか、あなたは間違いなく、こんな活動、すぐに飽きる。僕にはわかるんです」
あまりにあまりな言い分に記者の人が止めに入ってくれて、A氏はそれ以上はそのことに触れなかった。そうして対談が始まったものの、私はなんだかうわの空で、そしてぼんやり思っていた。
どうしてこの人、私のことを勝手に「代弁」してるんだろう? しかも、本人の前で。本人に向かって。そして、本人不在の場で。
占い師でも預言者でもないのに、勝手に私の未来を「予測」する人。そんな人は、私の人生にそれまでも現れたことがあった。それはなぜか、100パーセント男性だった。
例えば、20代の頃によく遭遇したのが、私が誰かと付き合うたびに「あんな男とはすぐ別れるに決まってる」と断言する男。やはり私より年上で、顔を合わせるたびに「まだ付き合ってるのか」などといちいち確認してくる。「はぁ」と答えると、「すぐ飽きるに決まってる」「お互い飽きる」「あと1カ月は持たない」などと勝手な予言を連発。そんなことを言われるたびに、「お前はすぐに飽きる程度の男としか付き合っていない」「お前なんてすぐ飽きる程度の女」と言われている気がして不愉快極まりなかった。
タイプは違うものの、「女の身に起きることはすべて“いい母親になる”ための修業」と決め付けている人もいた。そんな男に出会ったのは25歳で物書きデビューし、イベントなどで自分自身のことを話すようになってから。しょっちゅうイベントに来てくれるその男性との間では、いつもこのような会話が交わされるのだった。
「雨宮さんて、いじめられてたんだよね?」
「はい」
「いいお母さんになれるよー」
「リストカットもしてたとか?」
「はぁ……」
「いいお母さんになれる!」
「あと、右翼だったんだよね?」
「ええ、まぁ」
「絶対、いいお母さんになれると思うよー!」
何がどうしてどうやったらそんな結論になるのか謎すぎたけれど、その男性にとって「女の最終形態」=「母親」という図式は決して崩れないもののようだった。が、44歳の現在、私は母になる気配など微塵もないし特になりたいとも思っていない。思えば子どもの頃から「母親になりたい」なんて一度たりとも思ったことがなかった。しかし、「女」と見れば「いつかは母になる」「なりたいに決まってる」と信じている男性のなんと多いことか。
だけど思えば、直接口に出されなくても、小さな頃からいろんなことを決め付けられていた。「いつか結婚するだろう」とか「いつか子どもを産むだろう」なんてのは最たるものだ。しかしその決め付けは、大事なことから目を逸らす結果ともなった。例えば私は19歳から25歳までフリーターで、毎月電気かガスか電話が止まるような貧困生活だったが、そんな私の低賃金を誰も問題にしなかったのは、私がいつか結婚し、「家庭」に吸収されていくだろうと決め付けられていたからである。
それだけではない。現在に至るまで「女性の貧困」は放置されているわけだが、それはまったく同じ理由からである。それどころか、「女性活躍推進法」下のこの国では、「もっと活躍したい」でしょう、「キャリアアップしたい」でしょうとこれまた決め付けられ、常に「上を目指して」努力しなければならない空気が蔓延している。
フリーターの頃、私はこの「無条件に上を目指さなきゃいけない感じ」が嫌で仕方なかった。今している仕事やその立場を否定的に見られ、続けているだけで「いつまでそんなこと やってるんだ」と詰られてばかりいたからだ。
当時の私には物書きになりたいという漠然とした思いはあったものの、それとは別に、どうしてフリーターってだけでこれだけ怒られるんだろうと思っていた。ちゃんと働いてるのに。誰かがやらなきゃいけない仕事を担ってるのに。それなのにこの日々自体が「ダメの上塗り」のように見られる。
なぜ、社会は低賃金の非正規雇用者をこれほど求めているのに、非正規労働者である私には「こんな日々」を一刻も早く脱出して、バリバリのキャリア女性、もしくは「妻」を目指すことを強いるのか。
そんな歯噛みしたくなるような日々を鮮明に思い出したのは、栗田隆子(くりた・りゅうこ)さんの『ぼそぼそ声のフェミニズム』(作品社、2019年)を読んだからだ。1973年生まれの栗田さんと私は同世代で、彼女は私と同じく単身。大学院で哲学を学び、その後、非正規で働いてきた彼女は女性の労働・貧困問題に取り組んできた一人だ。
そんな彼女は本書で「私がとりわけわからないのは、『キャリア』という言葉である」と書く。そうして、派遣の仕事の「事前面接」(禁止されている)で、「キャリア計画」を聞かれた時のことを描写する。
「とにかく、自分にできる仕事をやっていきたいです」と答えた栗田さんに、面接官は「そんな先を考えないようでは困る。