コロナ禍でも、感染対策をしながらライヴをしているバンドはあった。が、1月7日、首都圏を中心に再び緊急事態宣言が発令される。ライヴハウスにも午後8時までの営業時間短縮が働きかけられているが、飲食店への「要請」と異なり、あくまでも「働きかけ」なので、応じたところでライヴハウスに協力金は支払われないという「制度の狭間」に落ちている。
一方で、世界を見渡すとどうだろう。例えば20年4月14日の朝日新聞「多和田葉子のベルリン通信 」には、ドイツの実例として以下のような記述がある。
〈フリーの演奏家は七月までのコンサートが全部キャンセルになり収入がゼロだと嘆いている。ライブハウスもジャズ喫茶もこのままでは潰れてしまう。個人経営のヨガ教室も理髪店も同じ心配を始めた。その不安に答えるように、国の予算が赤字になるのは承知の上で補助金を出す、とメルケル首相が発表した。零細企業は雇用者に払う給料の一部と家賃を肩代わりしてもらえる。フリーの俳優、演奏家、朗読会の謝礼を主な収入源にしている作家などは、蓄えがなくて生活が苦しくなった場合は申請すればすぐに九千ユーロの補助金がもらえる、と書かれた手紙が組合から来た。わたし自身は補助金をもらう気はないが、文化が大切にされていることを実感するだけで気持ちが明るくなった〉
また、20年11月10日の東京新聞夕刊「ウイルス禍と文化 芸術の灯は消えない フランスで再びロックダウン 」という寄稿文で、辻仁成氏は「音楽組合に所属するプロのミュージシャンたちは最低限の生活などが保障されている」 とフランスの状況について書いている。この「保障」は、音楽家たちが政府に「このままでは文化がなくなってしまう」と訴え、協議を重ねたことが背景にあるそうだが、フランス政府からもドイツ政府からも、「文化を支える者たちを国が支える」という強い思いが伝わってくる。
翻って、日本はどうか。経済産業省は、緊急事態宣言が出された地域などで公演などを中止・延期した事業者に、1件について最大2500万円を支援するという策を新たに打ち出したが、一言で言って遅すぎる。1年近く経ってこんな策を打ち出されても、この1年の間に力尽きてしまった人々、莫大な負債を抱えた人々は数え切れないほどいるのだ。
ちなみに令和2年度第3次補正予算案では、「コロナ禍における文化芸術活動支援」として370億円が計上されている。一方、不評だったGo Toトラベルには1兆311億円、Go Toイートには515億円。そうして生活困窮者支援や自殺対策には、わずか140億円だ。これらの数字から、政権の優先順位が嫌というほど伝わってくる。
さて、この1年、私もいろんな危機に見舞われてきた。
感染拡大初期の頃など、人と会わずにいると「みんな私を仲間はずれにしてるのでは」と勝手に疑心暗鬼になったりした。一方、SNS上で同世代の人たちが「密を避けて家族でキャンプ」なんて楽しげな写真をアップしていると、単身・一人暮らしという自分の生き方そのものが間違ってるような気がして地味に心をえぐられたりした。それだけではない。家にこもる日々の中、過去のことを思い出してはいつまでもうじうじ悩んだり、将来が異様に不安になって眠れない夜もあった。
そんな中、「なんであの人が」という芸能人の訃報に何度も接していると、平常心でいることも難しくなってくる。コロナ禍に見舞われるまで、私は、「生きづらさ」は人が作っていると思っていた。人に傷付けられ、人間関係でつまずき、嫌な思いをすることが多かったから、生きづらさの元凶は「人」だと思っていた。
しかし、人と接しないということも「生きづらさ」になるのだと、この1年で初めて知った。人と深く関わると傷付けあってしまうけれど、人とまったく関わらないことも心を病ませていく。
「これはヤバい」と思い、感染拡大が少し落ち着いた10月頃には、少しずつ友人たちとの会食を再開したりした。そんな中気付いたのは、コロナ以前に日常に溢れていた「無駄でくだらない飲み会」が、どれほど貴重だったかということだ。
特に私は駅前や道端で飲む「路上飲み」が好きで、同じく路上飲みが好きな友人たちとよく野外宴会をしていた。久々に少人数で野外宴会のようなことをした時、不覚にも涙が出そうになった。同時に、「なんだ、みんな私のこと嫌ってたわけじゃないんだ」と思った。バカみたいにそう思い込んでいたのだということに、初めて気付いた。だけど程度の差はあれみんなも同じような不安を抱えていたようで、「やっぱり会って話すことってすごく大事だよね」と何度も何度も言い合った。
深夜になると、全然知らない人(路上飲みは通行人も勝手に参加していたりする)が私に執拗に絡んできて、コロナ以前だったらうざくて仕方なかった「酔っ払いに絡まれる」という行為も、なんだか涙が出そうなほどに懐かしかった。まさか酔っ払いに絡まれて喜ぶ日が来るなんて、コロナがなきゃ、想像もしなかっただろう。それくらい、私は人に、そして「どうでもいい会話」に飢えていた。
あれから、もう数カ月。再び感染は拡大し、緊急事態宣言の今、また人に会えないでいる。
それぞれの現場でできることをやっていくしかないと思いながらも、「ライヴに行けない」という事実は、私の中でずっとひっかかり続けている。なぜなら、このままでは自分が救われてきたヴィジュアル系文化そのものが消えてしまう可能性だってあるからだ。
この文化の灯を、決して絶やしたくない。あなたにも守りたい文化やお店や景色、コミュニティや商店街なんかがあるはずだ。それぞれ違うそういうものを、丁寧にちゃんと守っていけるような、そんな仕組みやお金の流れが作れたらいいのに。
今、祈るようにそう思っている。
次回は3月9日(火)の予定です。