もうひとつ、花房さんと違う部分がある。
それは不調を感じながら病院に行かなかった彼女と違い、私は日頃からやたらと病院に行っているということ。
それは「健康に対する意識が高い」とかではまったくなく、小さな頃から持病を多く持っていることによる。
例えば1歳からアトピーで、小学生くらいからアレルギー性鼻炎も発症。30歳を超えてからは喘息も発症し、また生理痛もひどいことから、これまでの人生で「1カ月、病院に行かなかったこと」は一度もない。
さらに10年近く前、さまざまなストレスで精神的に追い詰められまくった結果、突然高血圧になり、以降、毎日薬を飲んでいる。
このようなことから、「なぜ、私ばかり毎月いろいろな病院に行かなくてはいけないのか。お金もかかるし病院はどこも混んでいて半日平気で潰れるし、本当に貧乏くじの人生ではないか」と時々恨み言のひとつも言いたくなるのだが、日々通院していることによって血液検査などの機会があり、それによって病気の悪化を早めに防げているということは確実にある。
例えば高血圧が発見されたのは、生理痛がひどくて飲んでいたピルのおかげだった。ピルの処方を受けるには血圧を測らなければならないのだが、ある時、異様に高い数値となり、婦人科の医師からすぐに循環器科に行くよう言われたのだ。
その時は半信半疑だったのだが、思えばその数週間前から兆候はあった。それまで肩凝りの経験などなかったのに異様に肩が重く、後頭部にも痛みが走り、めったに行かないマッサージに行っても少しも改善されずということを繰り返していたのだ。こちらとしては血圧が高いなんて自覚はまったくない。が、循環器科に向かう途中、うっすらとあった頭痛はどんどんひどくなり、目も開けていられないほどに。診察された時には婦人科で測った時より血圧はさらに上昇。が、処方された薬を飲んだところ、数日で症状は改善した。あのまま放置していたら、取り返しのつかないことになったかもしれないと今も思う。
そんな高血圧だが、最近なんとなくダイエットを始めて7キロ落とし、お酒も減らしたところ急激に改善。近々薬からも卒業できそうである。
と、ここまで書いて、改めて思う。病院にお世話になりっぱなしの人生で「損してる」と思っていたが、ある年代を超えるとそれがプラスに反転するようである。そのことに、『シニカケ日記』を読んで気づかされた。
それだけではない。
年齢との向き合い方について、改めて考えさせられた。
花房さんは、多い時は年に何冊も本を出すなど多忙を極めていたそうだ。しかし、倒れる前は、その頃よりは時間に余裕のある生活になっていたという。
〈今までが忙しすぎたし、五十歳を過ぎたのだから、身体を壊すほど仕事したくないなとも考えていた。
確かに数年前までは、文芸誌に軒並み書いていたし、本も多いときは一年に八冊ほど刊行していた頃もあった。その後、本が売れず、仕事は減っていき、今にいたる。それでも何社かとはつきあいがあるし、生活はできていて不自由はなかった。
多忙な頃は、精神的にも肉体的にもきつかったし、眠れなくなり精神科で睡眠薬を処方され、今にいたる。あんな状態を続けていたら、それこそ早死にする。
だから、今、五十歳を過ぎてからの、そこそこ時間に余裕がある生活は、多少の先行きの不安はあっても快適だったのだ〉
この部分を読んだ時、自分の肩からスーッと力が抜けていく気がした。それは自分の中から毒が消えていく感覚に近くて、そうか、そんなふうに考えてもいいのかということに世界が反転する思いだった。
なぜなら、物書きとして、常に「全盛期を取り戻さなければならない」という呪いのようなものが自分の中にあったからである。だけど、それって私の勝手なこだわりで、自分を苦しめるだけのものだったのだ。そう、私だって来年には50歳になるんだから、「そこそこ時間に余裕のある生活」を目指したり、それを肯定したっていいのだ。
そう思った瞬間、「年齢を味方にする」という言葉の意味が生まれて初めて理解できた。今まで、それがどういうことなのかさっぱりわからなかった。逆に50代や60代になった途端、急に年寄りぶって大切にされたがったりする人を見ると、その変貌にちょっとズルいとさえ感じていた。だけど、こういうことだったのか。というか、これからは私もこの路線で行けばいいのだ。そうしたら、あらゆることに「いやいや私も50代になるから何事もほどほどにと思ってね」などと言えるではないか。あまり乗り気でない仕事や行きたくない飲み会なんかを断る絶好の口実にも使えそうだ。