年寄りは健康の話ばかりしている――。
少し前まで、そんなふうに思ってた。
しかし、50歳という大台を来年に控えた今、気がつけば私も「健康」について話題にすることが増えているではないか。
体力の衰えを感じるようになったのはいつからだろう。20代、30代のように「徹夜で仕事」「朝まで飲酒」なんかとてもできないし、ちょっと無理すれば何日も不調が続く。お酒も弱くなったし、一度体調を崩すと復活までに時間がかかる。こういうことが「老い」なのか……と実感し始めているこの頃だ。
さて、突然そんなことを書いたのは、2023年11月に出版された花房観音さんの『シニカケ日記』(幻冬舎)を読んだことによる。
知らない人のために説明すると、花房観音さんは10年に団鬼六賞大賞を受賞してデビューした小説家。私の周りには、女性の性を描く彼女の小説のファンが多く、勧められて何冊か読んだことがある。
そんな彼女が、51歳で文字通り死にかけた記録が『シニカケ日記』。
この本を知ったのは、SNSで偶然目にした「更年期だと思って不調をほったらかしてたら死にかけた!」という帯の言葉によってだった。ちなみに私は彼女と同世代の49歳(24年1月末に49歳を迎える)。今のところ更年期障害の症状はないが、さまざまな不調が押し寄せるという時期、確かにすべてそのせいにしてしまいそうではないか。ということで、今まで見ないようにしていたものを目の前に突き出された気分になり、すぐに購入。一気読みした。
本書によると、花房さんが倒れたのは22年5月。繁華街のバス停で動けなくなり救急車で運ばれ、そのままICU(集中治療室)に入れられたという。そうして医師から告げられたのは、「心不全」。心臓の一部がほとんど動いていなかったのだそうだ。
また、高血圧と初期の2型糖尿病であることも告げられる。本書はそこからの闘病生活が綴られるのだが、恐ろしいのは、倒れる2カ月ほど前から息がしにくく意識が朦朧とするなど不調を感じていたということ。明らかな不調があったのに病院には行かず、市販の更年期障害の症状をやわらげる薬を購入したり、「血圧が下がるお茶」を飲むなどしていたそうだ。
詳しくは本書を読んでほしいのだが、多くの「知らなかった」に目を開かれる思いだった。
例えば倒れた時、「119」が浮かばなかったこと。たまたま近くにいた人が救急車を呼んでくれたのだが、繁華街でなく自宅で一人だったら……と思うとゾッとする。
「介護脱毛」についても大いに考えさせられた。なんと花房さんが倒れたのは、「シュガーリング脱毛」でシモの毛を処理した直後。ちなみに「シュガーリング脱毛」とは、自然素材を使った脱毛法。少し前、40〜50代女性の間で介護脱毛が流行っているという報道があり、それに対して「いや、そんな事実はない」という反論がなされたりと突如40〜50代女性の陰毛に世間の注目が集まったわけだが、本書を読んで「介護脱毛、アリ」という思いを強くした。
何しろ、入院したり手術したりすると長い間、入浴できないこともある。そして場合によっては尿道カテーテルを入れたりオムツをつけたりと赤の他人にいろいろとお世話になるわけである。花房さんも入院そうそう「シモの洗浄します」と看護師さんに洗われているが、〈私、今、つるんつるんで、陰毛がないから、ものすごく洗いやすい患者ではないだろうか! 看護師さんも内心、「毛がないから洗いやすい〜」と喜んでくれてるんじゃないか!〉と書いている。
確かに自分が看護師さんだったらと思うと、剛毛よりもつるつるの方が絶対に楽だ。別に看護師さんじゃなくても、掃除の業者とかで考えればいい。例えは悪いがゴミ屋敷よりもミニマリストの部屋の方が掃除は断然楽に決まってる。料金設定から違うだろう。ちなみに本書によると、レーザー脱毛はメラニンに反応するので白髪には反応しないとのこと。シモの毛が白髪になってからでは手遅れなのだ。よく「オレの目が黒いうちは」なんて表現があるが、介護脱毛に限っては、「シモの毛が黒いうち」に済ませておくのが良さそうである。入院中、花房さんは〈毛がなくてよかった!〉と何度も痛感したそうである。
そのほかにも、いろいろなことに気づかされた。
例えば病院に運ばれて意識を失いかけながら〈あ、死ぬかも〉と思った時のこと。その瞬間を、花房さんは〈自分が思ったよりも未練がなかった〉と書く。
〈本も五十冊出したしー、恋愛も何回かしたしー、幸せで楽しいことも経験したしー。まあ、いいか。しゃあない〉
しかし、そう思ったのは、自分に子どもがいないからだろうとも綴る。
〈自分に子どもがいたら、全く違うことを思うだろう〉
ちなみに花房さんと同世代であることは前述したが、職業も物書きと同業で、私も彼女と同じく50冊ほど本を出している。花房さんは既婚で子なしだが、私は独り身で子なし。しかし、ひとつ、大きな違いがある。それは私には猫がいるということだ。昨年2月、29歳の時に拾った猫を18歳で亡くし、のちに新しい子を譲り受けたのだが、その子は今、1歳。
迎える時、少なくともこれから18年は元気でいないといけないと覚悟を決めた。18年後、私はなんと67歳。そう思うと気が遠くなるが、「猫を食べさせていかなければいけない」「猫を死なせてはいけない」ということは猫と暮らす私の大きな「生きる動機」になっている。
猫を拾うまではというと、常に死にたい人生だった。そんな私に「使命」を与えてくれた猫たちは、本当に命の恩人・恩猫だ。