一方、女性よりは「恵まれている」かもしれない男性が社会への恨みを募らせる背景に、彼らの「内なる家父長制」を感じることも多々ある。男たるもの、自分一人で稼いで妻子を食わせてナンボという価値観だ。特に非正規で働くロスジェネ男性がこれに苦しめられ、世を恨む姿はこの「失われた30年」の中、幾度も目にしてきた。
さて、では女性には自暴自棄と隣り合わせの鬱屈がないのかと言えば、女である私にも、あらゆる人が幸せそうに見え、世の中を呪った時期などいくらでもある。特に20代のフリーター時代は自殺願望に取り憑かれ、リストカットばかりしていた。そう、私は鬱屈が「他害」に向かず、「自傷」に向いたのだ。そして周りの「世を恨む」系の女性たちも、皆自傷に向かっていた。自傷だけでは済まず、自ら命を絶ってしまった女性もいる。
では、なぜそこから生き延びることができたのか。それはそんな鬱屈を語り合う場があったことが大きい。自殺願望を持つ人たちのイベントやオフ会などに顔を出し、多くの人と共感することでなんとか生きてきた。そんなことから自分でも生きづらさ系のイベントを主催するようになり、そういうことが物書きデビューにつながった。そうして物書きとなった今、あの時の鬱屈は宝物になっている。
しかし、鬱屈の只中にいる時は、そんなことなど考えられなかった。
私の頭には、小田急線の事件の男の言葉がずっと焼き付いている。
乗客を襲う直前、彼は一度はためらったという。が、「これまでの人生ってそんなに大事なものだったか」と思い、乗客に襲いかかったそうだ。
彼を踏みとどまらせるものが、何ひとつなかったという事実。
7月14日、男には、懲役19年の判決が言い渡された。
〈参考資料〉
朝日新聞「『恨むべきは社会構造なのかな』 小田急線で胸刺された20歳女性」(2023年6月28日)
朝日新聞「電車で刃物…パニックになるきっかけと条件 不安感が生むストーリー」(2023年6月27日)