最近、女友達と3人で会う機会があった。
もう10年以上前、物書きになる前にキャバクラで働いていたのだが、その時の同僚と飲んだのだ。
Aちゃんはデキ婚で5歳の子を持つ30代前半。もう一人のBちゃんはバリバリ働く40代、独身、一人暮らし。そうして私は37歳、独身、同じく一人暮らし。
キャバ嬢だった頃の私たちの話題は、「好きな人ができた」とか「彼氏がカッコいい」とか、なんだか浮わついたものだった。しかし、30代、40代となった今、女3人で火鍋をつつきながら語るのは、「老後に入る老人ホーム」。口火を切ったのはBちゃんで、すでにそんな計画を立てているという。
一方、子持ちのAちゃんは、そのあたりにはなんとなく余裕が見られ、「そうだよね、老人ホーム、重要だよね……」と、真顔でうなずく私ほどには、話にのってこない。ちなみに旦那と別居中で、姑との仲も険悪な彼女が嘆くのは、「あいつの家の墓にだけは入りたくない!」という、現世が終わってからも続く切実な問題だ。
フリーター時代の私を知っている数少ない友人との語らいは、とても楽しかったのだが、ふと、思った。いつから私たちの話題は、「墓」とか「老人ホーム」とか、そんなものになったのだろう、と。
もちろん、お互いの「コイバナ」なんかも、時に出るには出る。それなりに、時に激しく盛り上がる。しかし、最終的なアドバイスは「老後の楽しみのために、今のうちに2人の写真をたくさん撮っておけ」など、すでに照準が「老後」に合わせられているところが、切ないといえば切ない。
女友達とそんな会話を繰り広げている女子は、きっとたくさんいるはずだ。
そうして、おそらく30代にもなると、女同士、話題にのぼるのは「孤独死」ではないだろうか?
年間3万人ともいわれる孤独死。1日で、100人近くが、誰にもみとられずに亡くなっている計算だ。「私は結婚してるから、子どもがいるから大丈夫」と、余裕をかましてる人もいるかもしれない。しかし、2010年の国勢調査によると、現在の日本でもっとも多い世帯は単身世帯(単独世帯)で、全体の32.4%。その3分の1が、65歳以上なのだ。単身世帯は増加の一途をたどっており、高齢化が進む中、私たちが「老後」を迎える頃には、「一人暮らしのお年寄り」はおそらくもっと増えているはずである。そのうえ、女性のほうが平均寿命が長い。ということは、結婚してようがなんだろうが、この国では人生の後半を一人で生きる確率が非常に高いのである。
そんな世相を反映するように、最近では、親にまで孤独死を心配されている。すでに「彼氏はいないの?」系の心配はされず、しかも心配の仕方が「娘の老後の孤独死」ではなく、「今、まさに孤独死しているのではないか」と、気をもまれているのだ。
確かに、最近では30代、40代の孤独死も増えていると聞くものの、バタバタしていて数日電話に出られなかったりするだけで、留守電に「死んでるんじゃないかと心配してるから電話をよこせ」などと、本当に死んでたら到底不可能な要求が吹き込まれていたりする。
慌てて電話すると、「もし、今日も連絡取れなかったら、上京しようと思って荷造りしてた」などの仰天発言が返ってくる。ちなみに私の実家は北海道。いっそのこと、「ポットを使ったらその情報が子どもの携帯に届き、親の安否が確認できる」系の「高齢者見守り商品」的なものを導入しようかとも検討してみたが、なんとなく、私のどうでもいいプライドが許さない。
結果として、「親が私の生存確認をする」ツールとなったのが、ツイッターだ。
「とりあえずここ見てたら、電話通じなくても私が生きてるかどうかわかるから」と、親のパソコンで私のツイッターが見られるように設定。別につぶやくことなどなくても、「あ、おかんにまた孤独死の心配される」と思うと、どうでもいいことをつぶやく日々だ。
たまに思う。親が死んだら、私が「孤独死してるのでは」と本気で心配してくれる人などいないのだ、と。そのうえ、こっちは物書きという職業柄、どこかに出勤するわけでもなく、基本的には家で原稿を書く毎日。「出勤しないから心配して、同僚が家を見に行くと死んでいた」系の早期発見のされ方はまずない。仕事上の付き合いがある人で、家を訪ねてくるほど親しい人もいないし、プライベートな付き合いの人でも、ごくごく限られた人しか自分の部屋に招いたことはない。もちろん、同じマンションの住民との付き合いは皆無。
深夜、一人の部屋で体調が悪くなったりすると、「孤独死」という言葉とセットで浮かぶのはもはや「腐乱死体」だ。最近では、「部屋にセンサーを設置し、住人の生体反応がなくなったら自動的にどこかに通報してくれるようなシステム」の開発を望んでいるくらいである。
そんなふうにリアルに孤独死を心配していたのだが、最近、ある女友達が徒歩3分の場所に引っ越してきた。彼女もやはり、一人暮らし。特に孤独死におびえる様子のない5歳ほど年下の彼女に、私は延々と「孤独死は若くてもあり得ること」「腐乱死体の悲惨さ」「一日にどれほどの人が孤独死しているか」などを語り、恐怖心を植えつけることに成功。すっかりビビった彼女と、「孤独死防止協定」を締結するに至ったのである。
まぁ具体的には、ご近所なので一緒に飲んだり、マメに連絡とったり、はたまたどっちかが風邪ひいたりしたら看病し合おう、というようなものである。が、実は、こういう「ちょっとした迷惑をかけ合える関係」こそが重要だと思うのだ。普段から迷惑をかけ合っていれば、本気で大変な時に頼ることができる。こっちも迷惑かけられていれば、いるほど言いやすい。
お互いに「迷惑マイレージ」を貯めること。それこそが、きっと孤独死の防止に役立つのだ。
私の好きな言葉に、こんなものがある。それは「本当の自立とは、自分ですべて解決することではなく、困った時に『助けて』と言えること」というもの。
元朝日新聞記者で、女性問題や労働問題の著作を多く手がける竹信三恵子さんの『ミボージン日記』(2010年、岩波書店、1900円)の言葉だ。一字一句正確かどうかわからないが、この文章に、私はどれほど救われただろう。
ちょっとした迷惑をかけ合うこと。「助けて」と言えること。実は、それって当たり前の人間関係のあり方だ。だから、きっと遠慮することはない。私が誰かに迷惑をかければかけるほど、その人は私に「助けて」と言いやすくなる。だから思う存分、迷惑をかけてやろう。
ということで、女子が生きて行くうえで大切にすべきは、やはり女友達なのだ、と再確認したのであった。
次回は8月2日(木)、「年を重ねること、加齢」をテーマに考えます。
孤独死と迷惑マイレージ
(作家、活動家)
2012/07/05