子どものころに思い描いていた37歳というと、結婚し、子の一人や二人すでに産み、子育てに追われているオバサン、というイメージだった。漠然と、自分もそんな人生を歩むのだろう、と思っていた。「一億総中流」が現役だった昭和末期に、子ども時代を過ごした人の多くが、そんな感覚だと思う。
それが現在、37歳の私は独身。一人暮らしで、猫は2匹いるものの、毎日を好き勝手に生きている。
子どものころに思い描いていた人生と、まったくかすってもいない今。それがいいことなのか、悪いことなのかはわからない。ただ、その背景には時代状況という、いかんともし難いものが横たわっている。なんたって、昭和を代表する漫画「サザエさん」の主人公・フグ田サザエは、23歳という設定である。
ということで、「年齢」について、考えてみたい。
この国では、なぜか「年を重ねる」ということが、非常にネガティブに語られている。とくに女子に対しての圧力は、半端じゃないといえるだろう。世の中には、「女性の年齢」に関するハラスメントがあふれている。ロクでもないオッサンなんかが「女は若くてナンボ!」とかほざくのは、聞き流せばいいとしても(本当は聞き流したくないけど)、問題なのは多くの女子がそんな価値観を内面化し、「私なんてもう年だから……」と、卑屈になったりしていることだ。
しかし、私は声を大にして言いたい。なぜ、年を重ねることが、こうも否定的にとらえられなくてはいけないのか。当たり前だが、「時間」には誰一人として、あらがえるはずもないのだ。
ちなみに私は、年を重ねること自体が好きである。
というか、10代、20代のころから、「早く30代になりたい」と思っていた。
理由は簡単だ。そのころの私は、生きづらくて仕方なかったからだ。自分がこれから先どうしていいのか皆目わからなくて、いろんなことに自信がなくて、他人の評価ばかりが気になって、誰かの一言にいちいち全身で傷ついて。とにかく、息をしているだけで苦しくて仕方なかった。
そうして迎えた30代。
そこには、新しい地平が広がっていた。何か「とりあえず30年間生きてきた」ということが「根拠のない自信」となり、それだけのことで、自分を肯定できるようになってきたのだ。また、「若い」というだけで、知らないオッサンなどから意味不明の説教をされることも格段に減り、最悪なセクハラ被害も激減。「自分はこの先、どう生きていけばいいのか」系の悩みも、「まぁ、30代まで生きられたから、なんとかなるのではないか」と、いくぶん楽観的に考えられるようになった。
もう一つ、大きいのは「自分を守る方法」を、曲がりなりにも覚えたことだ。思えば10代、20代のころの私は、ものすごく無防備に、むき出しに生きていた。だからこそ、「誰かの一言」に、もう立ち直れないくらい、傷ついた。自分に対する「防衛方法」を知らなかったのだ。
しかし、今の私は、それなりに「自分を守る方法」を知っている。あのころのように、すぐに心から血が噴き出すような傷つき方は、もうしない。ある程度の場数を踏み、それなりに図太くなったのだ。
そんなこんなを、私は「ハッピーサーティー」と呼んでいる。
友人の造語なのだが、30歳を迎えたある日、友人(男性)は本当に嬉しそうに「やっとハッピーサーティーですよ!」と叫んだのだ。
彼は言った。とにかく20代は、生きてても辛いことばかり。少し先の未来への不安や、いろんなプライドなんかに、がんじがらめの痛い季節。仕事や恋愛も、大抵不安定。そんな20代と、やっとオサラバできるのだ、と。
その言葉にひどく共感した私は、以降、「私、もう30になるんですよ……」と、悲観的になっている男女に「ハッピーサーティー、おめでとう!」と祝福し、「世間的に若くないと思われることが、いかに生きやすいか」を説いて回っている。
そして私自身、痛感しているのは、30代になって「素直になれた」ということだ。
思えば20代のころの私は、相当、「ダメをこじらせた」女だった。自分のことで精一杯で、自分に自信がないからこそ、変にプライドが高く、「自分は人と違うのだ」という中二的オーラを全身から発散し、それを証明するためなのか、初めての海外旅行で北朝鮮に行ったり、イラクに行ったりした。さらには「クリスマスに恋人とデートする」系の作法をバカにして、あえてクリスマスのたびに、「アンチ・クリスマス」を掲げたイベントなどを主催していた。
そう、私は貴重な20代のクリスマスすべてを、「クリスマスを粉砕せよ!」などと銘打ったイベントやデモで、ドブに捨てるように無駄にしてきたのである。
まぁ、それはそれなりに楽しかったのだが、わざわざそんなことをするということは、「クリスマスに、恋人とスイートルーム」なんかに、もう頭をかきむしりたくなるほど、羨ましさを感じていた証拠に他ならないではないか。
ああ、なんとなく、あのころの自分がかわいそうになってきた。
ね? 「若い」ってメンドくさいでしょ?
ちなみに、そんな「ダメをこじらせたサブカル系女子」だった私は、「ディズニーランド」というものに、デートで行ったことが一度もない。中学生のころ、家族で行ったことはあるものの、それだけだ。北朝鮮に行く勇気はあっても、「いいな」と思う異性に「ディズニーランドに行きたい」という勇気が、どうしても出なかったのである。そのうえ、「そんなキャラじゃない私が、ディズニーランドなんて」という、どうでもいいプライドもあった。
しかし、このままでは、私は「人生で一度もディズニーランドでデートしたことがない女」になってしまうではないか! 37歳となり、本気でそんな焦りも出てきた私は、もはや自分のチンケなプライドなどかなぐり捨てる勢いで、今、ディズニーランド行きを熱望している。
ということで、「焦り」は人を素直にさせるようである。そんなハッピーサーティー、私はそれなりに楽しんでいる。
※次回は9月6日(木)、「脱原発に奮闘する女子たち」をテーマに考えます