みなさんはもう、どこかに行かれただろうか。
私はと言えば夏休みをとり、一人、東南アジアの離島で過ごしてきた。
何もない島。暑いだけの島。クーラーも扇風機もなく、あるのは冷蔵庫の調子が悪いのかビールも冷えていない食堂だけ。
そして、海。広い広い真っ青な空と、どこまでも続く白い砂浜。
毎日、誰もいない波打ち際で土左衛門のように全身の筋肉を弛緩させては波間に漂い、それに飽きると浜辺で昼寝をし、そうして夜になればハエだらけの野外の食堂でぬるいビールを飲みながら焼き飯などを食べた。
気楽な一人旅を経て、しみじみ思ったことがある。それは「今まで好きな人と旅に出て、ずいぶん損したなー」ということだ。
いや、本当は「大好きな人との旅」ほど楽しいものはないだろう。しかし付き合い期間が短ければ短いほど、そしてまだ自分の「素」を出していなければいないほど、それは苦行に近いものでもある。
たとえば、自分のほうが食欲旺盛で大酒飲みなのに、まだその情報開示をしていない場合もあれば、メイク後とものすごい落差のあるスッピンをいつ見せるか、という超難関もある。
しかし、そんなものを軽く凌駕(りょうが)する苦行がある。旅においての大損。それはズバリ、「ケンカ」だ。
せっかくの旅行なのに、なぜかそれは必ずと言っていいほど、オプションとしてセットされている。これに費やした膨大な時間を思うと、時に気が遠くなってくる。「私の貴重な旅の時間を返せ!」と、今、どこに向かってかわからないけれど叫びたい気分だ。
昔、付き合っていた相手とヨーロッパ旅行に行った際には、空港行きの車の中でケンカが勃発。雰囲気の悪いまま搭乗となり、結局、十数時間にわたるフライトの間、双方一度も口をきかなかった。そのうえ、何がそんなにムカついていたのか、私は「機内食を拒否」というハンストまで決行。「自分は怒っている」ということを示すためか、飲まず食わずでほぼ微動だにせず、地蔵のように固まって十数時間を過ごしたのだった。
今思えば、よくエコノミークラス症候群にならなかったものである。
そこまで長期化・冷戦化しなくても、旅においてのケンカには、みんな苦い思い出があるはずだ。最初は、ちょっとした行き違いだったりする。しかし、「せっかくの旅行なのに!」という残念感から、怒りの炎にさらに油が注がれてしまうようなケース。ああ、なぜそこで「せっかくの旅行だから」と気分を変えられなかったのだろう。
ということで、今回は旅に限らず「どうやったらケンカを回避できるか」ということを考えたい。
ケンカしない方法。
それは双方の努力が必要とされるのだろうが、私は努力も忍耐も嫌いだ。よって、もっとも楽そうな方法ということで、思いついたのが「諦める」ということだ。この言葉には、数年前、ちょっとした衝撃を受けたことがある。
それは映画『ダーリンは外国人』(2010年、東宝)のキャッチコピーを見た時のこと。映画そのものは見ていないのだが、著者の小栗左多里と、恋人(のちに夫)のトニー・ラズロとの、ほのぼのした日々を描く漫画(2002年、メディアファクトリー)は愛読していた。で、それが映画化されるにあたってのコピーが、「国が違えば、あきらめもつく」だったのだ。
なかなかに秀逸なコピーだった。
そうか、『ダーリンは外国人』でカップルがとてもうまくいっているように見えるのは、2人の国籍が違って、お互いそのことでどこか「諦めがついている」からなのかもしれない——。そのことをポジティブに表現したコピーの言葉が、ずっと心に残っていた。
以来、私はイラッとする前に積極的に諦めることにした。
バカだから諦めがつく。元ヤンだから諦めがつく。アーティストだから諦めがつく。貧乏だから諦めがつく。虚弱体質だから諦めがつく。
「諦める」ことは、波風を立てない万能薬なのである。いろんな応用が可能なので、なんにでもこじつけてしまえばいい。たとえばハゲだからとか、デブだからとかにも使えるし、「年上だから」「年下だから」「同い年だから」というふうに、特に諦める要素にならなくても無理やり適用してしまうのだ。
そんな「諦め大作戦」を最初にした時のことは、はっきりと覚えている。今から数年前、付き合ってまだ日が浅い相手と温泉に行った時のこと。当時はその人のことが好きすぎて盲目状態だったのだが、今思えば、相当なナルシストだった。
そんなナルシスト氏とそれぞれ温泉に入り、私は部屋に戻ったものの、彼の帰りがやたらと遅い。数十分後、私よりはるかに遅れて戻ってきた彼は、いつにも増してツヤツヤの肌を光り輝かせていた。
「何してたの?」
思わず聞くと、彼は言った。
「あ、パックしてた」
男湯の脱衣場で、湯上がりに長い時間をかけて、美顔のためのパックをしていたのだと言う。もちろん、その場に居合わせたオッサンなどからは変な目で見られたようだが、彼は爽やかな笑顔で言った。
「人の目気にするより、自分の肌気にするほうが先じゃん?」
一点の曇りもないその笑顔に、言葉にできない種類の違和感がわき上がってきた。ああ、この人は、私とはまったく別次元で生きてらっしゃるんだな。今、こうして日本語が通じてるだけで有り難いと思うことにしよう。
妙に冷静に思い、私はいろいろ諦めた。
結局、違和感にふたをしたおかげで楽しい旅となった。その人とはそれから少しして別れたものの、イケメンナルシスト氏は、リンパマッサージをはじめとする美容方法をやたらと伝授してくれた。今、私はそれらをまったく実践していない。面倒だからだ。
このように、男性に限らず、すべての他人は理解不能だ。そういう前提に立って諦めれば、すべての人間関係において過剰に悩むこともなくなりそうではないか。
大体、こうして偉そうに「私はこういう瞬間に諦めた」とか書いてる私だって、他人から見ればおかしなことばかりして、引かれまくっているはずなのである。自分自身も他人に何度も諦められ、そのたびになんとなく許されたり、「なかったこと」にしてもらったりして、なんとか人間関係を続けさせてもらってるのだ。
そう思うと、もっと他人に寛容になろう、という気持ちが芽ばえてくる。
何はともあれ、この夏、好きな人と旅に出る女子には「ケンカの前に諦めろ」という言葉を捧げたい。
次回は9月4日(木)、テーマは「夏の思い出」の予定です。