「愛」とは何か。「幸福」とは何か。
久々に、ものすごく久々にそんなことを真っ正面から考えている。それは鈴木涼美さんの「身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論」(幻冬舎、2014年)を読んだからだ。
鈴木涼美さんは、新聞記者を経て現在はフリーの文筆家。他の著書には「『AV女優』の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか」(青土社、2013年)がある。慶應義塾大学卒業、東京大学大学院社会情報学修士課程修了――と、高卒の私からすると、ほとんど未知世界なほどの高学歴。そんな彼女が週刊誌で騒がれたのは2014年のこと。過去にAV(アダルトビデオ)に出演していたことが、大きく報じられたのだ。
高学歴、新聞記者という職業、「AVに出ていた」という過去。世のオッサンたちが飛びつきそうな話である。
で、私はといえば「『AV女優』の社会学」が非常に面白いということ、そしてその著者自らにAV出演経験があるらしい、ということは以前から何かで読んで知っていたので、「今さら騒ぐことなのか」と、ぼんやり思った記憶がある。
あれから、半年以上。彼女が14年11月に上梓した「身体を売ったらサヨウナラ」が周囲でやたらと評判なので、このたび読んでみたところ、冒頭の「愛とは」「幸福とは」という無限の思考ループにまんまとひっかかってしまったというわけだ。
この本では、彼女がギャルだった頃や、キャバクラとホストクラブを行き来する「ごみみたいな生活」をしていた頃、そして「昼のオネエサン」になってからの日々などが描かれている。最も登場する頻度が高いのはホスト。その次は、ホストにハマって人生がおかしくなってしまう女の子たちだ。
読みながら、ある女の子――優子ちゃん(仮名)を思い出した。
20歳前後の頃、よく一緒に遊んでいた女の子。その頃の私も、今から思えば「ごみみたいな生活」のまっただ中にいた。
18歳で「美大に行くための予備校に入る」という名目で上京したものの、主目的は「ビジュアル系バンドを追っかけること」。10代から深刻なバンギャ(ビジュアル系バンドの女性ファンの総称)だった私にとって「生まれ育った北海道を脱出して東京に行く」というのは実に自然な流れで、そんな私を頼って新高円寺駅から、さらにバスに乗らなきゃいけないような辺鄙(へんぴ)でチンケな家賃6万8000円のアパートの一室に、はるばる北海道からバンギャ友達が押し寄せたのだった。
優子ちゃんはその一人で、私より一つ年下。美人でも可愛いわけでもないけれど、童顔・巨乳で、少ししゃべるだけでものすごく頭が悪いことがバレバレで、だけどとびきり明るいからかよくモテた。中卒で、家もお金も何もなく上京した彼女は、以降2~3年は東京にいたものの一度も自分の部屋を借りることはなく、常に友達や男の家を転々としていた。
東京に来たばかりの頃、私たちはライブに行きまくり、打ち上げに出まくり(当時、バンドによっては打ち上げにファンが普通に入れた)、「東京デビュー」を楽しんだ。だけど好きなバンドのライブに行って、打ち上げに行って、そして仲よくなったバンドのメンバーと遊んだりするには当然お金がかかる。「会計はバンギャ持ち」というのが暗黙のルールで、行く先は安居酒屋ばかりだったけど、私たちはいつもお金がなかった。
東京に出てきてすぐ、優子ちゃんは別の友達の家に居候するようになり、普通のバイトを始めた。確か本屋さんだったと思う。だけど、すぐに中野あたりのスナックで働くようになり、そのうちお客さんに盛大に貢がせていることが店で問題となり、そうして上京して半年も経たない頃には、歌舞伎町のピンサロ嬢になっていた。
そんな優子ちゃんに誘われて、「私の上京」だけをきっかけに東京に来た友人たちは続々と、そしてあまりにもあっさりと、風俗産業に吸い込まれていった。まるで掃除機で一気に吸引されるみたいに。
気がつけば、バンギャ友達の中で風俗で働いていないのは私だけで、ある意味、みんながそれぞれ壊れていくのを間近で見続けたことが私をとどまらせたのだと思う。優子ちゃんはあまり売れてないバンドのボーカル(だけどものすごいイケメン)と付き合うようになって、その彼によく「明日までに20万円用意しろ」とかメチャクチャなことを言われていて、そのうち風俗の仕事を二つかけもちするようになった。だけどそのイケメンには、他にも貢ぐ女の子がいた。
ある日、本当に偶然、街で見かけたのだ。イケメンボーカルはスタイルがよくて可愛い女の子と歩いていて、その子は本当に嬉しそうに「お金のことならいつでも言ってね☆」と彼にほほえみかけていた。イケメンは、媚びるでもなく爽やかに「ありがとう」と笑った。「貢ぎ」の世界について何も知らなかった私は、そんなふうに口に出して言うものなのかと、ただただ驚いていた。
そのうち優子ちゃんは、会うと目の周りが青黒く腫れていたり、身体中にあざができていることが増えた。イケメンはDV(ドメスティックバイオレンス)男で、だけど優子ちゃんはそんな姿でも、せっせとピンサロとヘルスに出勤してイケメンに貢ぎ続けた。肋骨を折ったこともある。そうしてある時期からげっそりとやせ始めた。非合法なクスリにハマったからだった。
時々泊まりに来る家なき優子ちゃんは、来るたびに「お金貸して」と言うようになった。そして私のクローゼットの服を物色しては「お願い、これ明日貸して」と懇願した。
嫌だったけど、優子ちゃんが着ている服はいつも安物で、なんだかどうしても断ることができなかった。そうして明け方までおしゃべりして翌日起きると、彼女はテーブルの上に出しっぱなしの、少し湿気たポテトチップスを数枚かじり、私の服を着てピンサロかヘルスに出勤していくのだった。
お金も服も、一度も戻ってこなかった。そんな優子ちゃんを、みんなは避けるようになっていった。私も避けるようになった。
気がつけば、私は美大の予備校をやめてフリーターになっていた。ライブハウスから足も遠ざかり、「自分が何かになる」ためにもがき始めていた。人形作家に弟子入りしたり、自らバンドを始めたりもした。そういうことを始めたら、優子ちゃんたちと会う必要がまったくなくなってしまった。
「身体を売ったらサヨウナラ」の中には、そんな、優子ちゃんみたいな女の子たちがたくさんいた。ただ愛されたくて、好きな人と一緒にいたくて、幸せになりたくて、そして刺激も欲しい女の子たち。そのためにせっせと身体を売って、そしていろんなものを手に入れようとしていた。
第一章「愛か刺激か両方か」の中に、あの頃の「高揚」を思い出すような描写があった。
「私が夢中になったのは、関内の深夜1時以降にだけはっきり手に入る万能感だった。21年間蓄積した女としてのそれはそれは汚く愛(いと) しいエゴイズムが、毒々しい花になって私の頭のてっぺんに咲き誇っていた。私が店内を歩けば、ホスラバーの女の子たちがじろじろ見てきたし、代表のガクさんは忙しい時でも私の席に長々と座ってくれていたし、食べたいものはヘルプが関内中探してきてくれた。別にそれ自体、大してうれしいことでもないが、それでも毒と美と資本主義をつま先から心臓の奥まで体現している自分が、愉快で愉快で仕方なかった」
ホストクラブにハマったことはないが(付き合いで一度行ったことがあるのみ)、この「万能感」はあの頃、「ごみみたいな生活」をしていた私たちの周りにも確実に、あった。頭が悪くて安っぽい服ばかり着ている優子ちゃんと付き合い続けていたのも、彼女といると「万能感」が手に入りやすかったからだ。
人懐っこい彼女は目当てのメンバーを誘う天才で、彼女が誘うと誰もが魔法のようについてくるのだった。そんな彼女の近くにいれば、楽しいことはいくらでも起きた。
あの頃、私は何が欲しかったのだろう。久々に、思った。たぶん、何が欲しいのかもわからなかったのだと思う。自分が何をしたいのかもわからなくて、だからこそ、がむしゃらに欲望を発動させていた。というか、そうするしか生きる術がなかった。
「愛」とかは、特にいらなかった。だけど異常に認められたかった。何をどうしてどうすれば「認められた」ことになるのかわからないけれど、とにかくあの頃の私は、誰かに認めて欲しくて仕方なかった。
「結局は私も、自分の複雑さをなめられたくなかった。それはきっと、私が嫌われるより馬鹿にされる方がイヤだと思っていたからである。愛されるよりすごいねって思われたかったからである」(「身体を売ったらサヨウナラ」より)
そんな彼女の言葉に、「面倒すぎた季節」の痛みがよみがえった。
では、今の私が欲しいものはなんだろう。
そう思うと、それはあの頃よりずっとシンプルで、言葉にすると陳腐だけどおそらく「愛」や「幸福」に近いもので、なんとなく、年とってよかったな……と、しみじみ思ったのだった。
愛と幸福と身体とお金
(作家、活動家)
2015/06/04